玉那覇 仁さんへのリレーインタビュー

NPO法人協同労働協会OICHI理事長の坂佐井 雅一さんからのリレーインタビューは、たまナビ・アカデミー代表の玉那覇 仁(たまなは ひとし)さんです。

今回も対面でのリレーインタビューとなりました。

玉那覇さんは、2年前に離婚をされました。5年間の裁判の後、離婚が成立したといいます。7年前にすべてを失った玉那覇さんは、紆余曲折しながらも、ご自身の生きる道を探し続けてきました。
そして辿り着いた一つの答えは、心の在りようが何よりも大切であること。

それまでまったく関心がなかった神仏に対して、畏敬の念が湧き、感謝の気持ちとともに手を合わせる。そういう玉那覇さんの心の在りようは、ビジネスにおいても独自性を帯びています。根底にあるものは、「誰かのために」という考え方です。競争や対立を避け、共生や調和の中に人間味のあるビジネスを見い出そうとしています。

人は、何にしあわせを感じて生きるのか。

どん底を味わった玉那覇さんのお話しは、そういった根源的な問いを投げ掛けてくれます。(聞き手:昆野)


――たまナビ・アカデミーのHPを拝見して思ったのですが、IT系のスクール&コンサルティングの会社なのに人間の情や温かみを感じる、ちょっと変わった会社ですね(笑)。動画には、「真(まくとう)そーけー、なんくるないさ」という沖縄の言葉が出てきます。一番になれなかった人を救う言葉です。

玉那覇さんのこれまでの人生も、いろいろあったようですね・・・。こんなことを書かれていますね。
「このまま一生安泰かと思った矢先に2014年に全てを失いました。まさかのどん底、それも突然です。信じていたのに理不尽な人間関係トラブル にあい、仕事だけでなく、家族、お金、お家、健康すべて失いました」と。
人生の再出発の発端となる出来事だったようですが、敢えてHPに記載されているということは、ご自身のビジネスの原点と位置づけているからですか?

玉那覇 仁さん:その通りです。2010年にサラリーマンを辞めて、義父が営む身内5人だけの不動産会社を手伝うことになりました。その後、2012年頃からアベノミクスによる不動産と株価上昇の流れに乗り、業績は絶好調でした。
ところがその2年後に、その会社の顧問弁護士の画策によって、私は会社を解雇され、被告人にさせられてしまいました。

――何かやらかしてしまったんですか?

玉那覇 仁さん:全く何も悪いことはしていません。だから結局、私は訴えられた側でしたけど、和解金をもらって裁判は終わりました。あくまでも弁護士の悪巧み(親子引き離しと裁判誘導)だったので、訴えた妻側身内もおカネと無意味な時間を失うことになりました。

――それはちょっとひどい話ですね。家族まで失ったというのはどういうことですか?

玉那覇 仁さん:2019年の判決とともに離婚が成立して、妻と娘二人を失ってしまいました。

――奥さんとは不仲だったんですか?

玉那覇 仁さん:とんでもない。もともと妻との仲は良くて円満な家庭でした。不動産に関わる以前のサラリーマン時代は家族最優先で、単身赴任を断って会社を辞め転職していたほどですから。ただ、妻側両親と二世帯および職場も同じ24時間マスオさん状態になり、良好だった義母(会社役員)と私の関係がおかしくなったんです。増えすぎたおカネは人を変えますよ! 精神的に耐えかねて、私だけ家を出ていくことになりました。
その3か月後に、妻と子どもは私と一緒に住むことになっていたんです。

家を出た直後は別居しつつも妻子と頻繁に会い、そのまま不動産の仕事を続けて給料をもらっていたので、二世帯自宅から600m程のところにアパートを借りて仮住まいをしていました。
しかし突然会社を解雇され収入もなくなり、結局妻も子どもも戻って来くることはありませんでした。

――たいへんなことが起きたんですね。こういう身の上話のようなインタビューは、これまであまりなかったですね。今振り返ってみて、ご自身の人生をどう思いますか?

玉那覇 仁さん:結論として、今は幸せです。 当時は言いたいことを我慢して、流されるまま生きていましたから(笑)。

――そりゃ良かったですね!

玉那覇 仁さん:今はやっと笑って話せますが、ここまで来るのに5年掛かりました。精神的にやばい時期もありましたが、多くの学びと出会いのおかげで「過去はギフト、未来にシフト」のように切り替えるようになりました。

――不動産の仕事をされていた時は、経済的な心配などなかったかもしれませんが、生きがいとかやりがいという面ではどうでしたか?

玉那覇 仁さん:当時は、毎日仕事は9時〜17時で終わるので、夕方以降はまったくやることがありませんでした。その頃から坂佐井さんのコミュニティに参加していて交流を深めていたことが心の救いでしたね。
後から思うと、仕事と並行してコミュニティ活動を続けていたことが、精神的にも支えになったし、人との関わりがあったからこそ仕事の機会に恵まれたと感謝しています。

――不動産の仕事が切れた後、すぐに今の仕事を立ち上げられたんですか?

玉那覇 仁さん:まったく違う仕事をしていました。アフィリエイト(ネットを利用した成果報酬型広告)の仕事をバリバリやっていました。ただ毎月の収入に大きな波があるので、心臓に悪い仕事でしたね(笑)。
一方で、表面は笑顔で誰にも過去のことを言わず精神的にボロボロ状態でしたので、メンタル系を学ぶ集まりにコッソリ通っていました。偶々そこの紹介で、心理学の団体の裏方で動画作成の仕事を始めることになったんです。

約2年半の間、生きるために何も考えずに仕事をしていました。しかし、仕事は段々思うように行かなくなりました。そんな時に、坂佐井さんから「講座をしないか」と声を掛けてもらったんです。2017年のことでした。

――坂佐井さんは、いつも絶妙なタイミングで現れる方ですね(笑)。

玉那覇 仁さん:そうなんです(二人大笑)。それが今も毎月2回開催している講座の始まりでした。そこから私は、”教える”ということを本格的にやり始めました。そうすると、どんどん紹介の輪が広がっていき個別コンサル、グループレッスンという今のスタイルが出来上がりました。

個別レッスンの様子

グループレッスンの様子

――ところで、大学を卒業されるまでは沖縄で暮らし、その後就職して東京で暮らし始めたんですよね?

玉那覇 仁さん:そうです。東京で4社経験しました。

――4社ですか?転職3回、就職した会社の水が合わなかったんですか?

玉那覇 仁さん:いえいえそうじゃないんです(笑)。子どもと家庭を大切にしたいと思い、転勤の話しが出る度に単身赴任を断って会社を辞めたんです。マンションを買った途端に転勤とか、何だか理不尽なことがありましたからね。

――サラリーマンはそんな感じですね。私がいた会社でも、家を持つと即転勤で単身赴任をしていた人が多かったです。そんなに家庭思いだったのに、真逆のことが起きたんですね。

玉那覇 仁さん:まさかのまさかです。家庭が原因で、人生のすべてを失うとはこれっぽっちも思っていませんでしたから(笑)。

――たいへんな人生ですね。

玉那覇 仁さん:いえいえ、昆野さんの人生に比べたら大したことないですよ(二人大笑)。私は、ただ娘を愛しているだけなんです。

――娘さん、おいくつですか?

玉那覇 仁さん:長女が高1で、次女は10歳です。

――7年間、会っていない?

玉那覇 仁さん:どんなに会いたくても会う権利があっても、子どもが会いたくないと言うと会えないんです。裁判という無意味な7年の歳月を、私は悔やみました。

――今は仕事一筋ですか?

玉那覇 仁さん:仕事が一番楽しいですね。今、新しい企画を考えていて、「ハーモニー」というみんなが集まる場所をつくりたいと思っています。
元々私がやりたかったことは、「争いのない、分かり合える社会をつくりましょう」ということなんです。そのために、日本人の魂や、和の波紋を広げようと活動をしてきました。しかし様々な制約の中で、一方通行的に教えるだけになってしまい、学びを伝える人のオリジナル講座をつくれないという課題に、受講生さんがぶつかっていることに気づきました。 
そこで、これまで私が学んできた心理学やビジネススキルなど、すべてまとめてハーモニーという講座にしてしまおうと思っています。私が過去に開催したセミナーやワークショップを教材にして 受講生の方に渡すことで、その人のコンテンツ(武器)として活用してもらえます。さらにその人たちが伝え人 になって、自分のオリジナル講座をつくってほしい。そうやって、みんなでコンテンツをつくるしくみを提供したいと思っています。
最終的に私は、和のコミュニティサロンをやりたいと思っています。目指すものは、「争いのない、 分かり合える社会」です。

――心理学と結びついているんですね。

玉那覇 仁さん:心に根ざした仕事をしていきたいと思っています。そのためには西洋よりも東洋の思想や宗教に触れることが大切です。今私は、和を復活させたいと思っています。

――古神道などに触れてみると、宗教のように導かれるという感じよりも、宇宙の摂理のようなものを感じ、すべて自分の内面に深く深く入っていくように思います。

玉那覇 仁さん:若い人は抵抗感があるかもしれませんが、広めたいですね。

――神社仏閣巡りもされているんですか? 

玉那覇 仁さん:昨日も行ってきました(笑)。

――多くのお寺では檀家離れが深刻のようですが、地域社会において、お寺が暮らしや心の拠りどころになってほしいなと思います。亡くなった人の供養も大切ですが、生きている人たちの手助けにお寺がなれれば、新たな信頼関係が生まれ、きっと立ち直れると思います。

玉那覇 仁さん:神社仏閣はいいですね。目に見えないエネルギーを感じます。一方で、ロジカルな面もやはり大事で、物事を知っているか知らないかで随分違う。知らないと私のように 家を追い出され全てを失うこともあります(大笑)。 ロジカルであり、感情豊かであってほしいなと思います。
結局、自分で考える力をもつことが大事です。経験的に思うのは、それがないと今の社会では騙されて一生を棒に振ることにもなりかねないですから。
「無知の罪」、ある意味で知らないということは罪です。さらに「知は空虚なり」、知識だけあって行動しないのは空しいということです。

神社仏閣巡り

――知識を得たいという人がとても多いですね。知識を得ることで安心したり、優越感を感じたり、でも結局自信がもてないということの裏返しなのでしょう。

玉那覇 仁さん:自信がない、何をやっていいのかわからないという人が多いです。みなさん、上を目指すから疲れるんですよ。競争によって三角形の頂点を目指すような考えは、平成の時代のもの。
この令和は、調和の時代。陰影がガチャンコした円のようなイメージです。そこには競争はなく、どちらが先生かわからない対等な関係性があります。

――これからは何においても共生や循環が大切になりますね。

玉那覇 仁さん:とても大切なことですね。

――奪い合えば足りず、分かち合えば余りある。何となく好きな言葉です。大きく捉えれば、資本主義の限界を感じます。

玉那覇 仁さん:おっしゃる通り!私もそう思っています。だから西洋ではなく東洋の思想をもっともっと取り入れていく必要があるんです。本来の日本の良いところを取り戻すことで、世界は変わります。
和の復活は、調和をもたらします。それは古くて新しい、これからの世界を心豊かなものにしてくれるものです。

これが本職に見えてきます(笑)

――30年以上前から、日本でも「会社は株主のためにある」と、ずっと言われ続けてきました。元々日本では、社員を大切にする企業文化が根ざしていたと思いますが、いつの間にか海外投資家の都合の良い価値観に染まってしまいました。

玉那覇 仁さん:まずは、自分の眼の前にいる人を幸せにするという考え方が大切です。株主のための会社では、経営トップも幸せじゃないし、成果主義による働き方自体、会社に幸せをもたらさなかったと思います。
私自身も、ずっと成果主義の中で上を目指して仕事をして生きてきましたが、そうしている間は心の安寧はなかったですからね(笑)。

――玉那覇さんのビジネスは、そういった過去の反省や教訓の上に築かれているということですね。

玉那覇 仁さん:38歳までは自分で乗り越えてきましたが、自分で乗り越えられないことが起こると、ジェットコースターのように真っ逆さまに落ちていきます。
以前は、神社仏閣などバカにしていましたが、身の程を知るというか、人間一人では生きられないことを知ると、何かを信じて生きようとします。ですから今は、日常的に神社仏閣巡りをしています(二人大笑)。

――困った時の神頼みと言う感じですね(笑)。

玉那覇 仁さん:神頼みとほほ同時にタロットにも嵌りました。あんなにバカにしていたのに大好きになっちゃいました。
人というのは変わるものですね。昔の私のような人を見ると、ああ残念だなと思います。そのままでは疲弊しちゃいますよと(大笑)。

――みなさん、人生が好転するきっかけが無さ過ぎですよね。

玉那覇 仁さん:昆野さんは、あり過ぎですよ(二人大笑)!

――確かに私の場合は、3.11とか、20代の交通事故や病気とかいろいろあり過ぎでしたね。だから浮世離れしているのかもしれません。

玉那覇 仁さん:だから、こんな私の浮世離れした話しにもついて来られるんです(大笑)。これをビジネスで生かそうと思うと、結構怪しまれるんですよね。
昔の知り合いが私のフェイスブックを見て、「あの玉ちゃんが神仏やってる。なんかイカレタみたいだ」と言っていたらしく、その後沖縄に帰って飲んだ時に、「普通だったんだ、安心した!」と言われました。

――私も、幼なじみとか親戚には、こんな真っ当なことをやっているなんて話さないですからね。

玉那覇 仁さん:そうなんですよね。私も、何でこんな 精神世界なことを伝えようとしているのか考えていました。
結局ですね、7年間も会えないでいる二人の娘に伝えたいんですよ。「パパは見てるよ!」って伝えたいんです。ただそれだけでいいんです。

――生涯、私は本など書くつもりはなかったんですが、心の奥底には自分の子どもたちに伝えたいという気持ちがあったようです。
私が何者なのか、一人の人間として、どう生きているのかを伝えたかったのかもしれません。そして、人間は誰かや何かの役に立った時に、悦びを感じる生きものなんだということを知ってほしい。

玉那覇 仁さん:「誰かが悦ぶと、私もうれしい」、そうなんですよね。ああ、シンクロしましたね!
相手が悦ぶことを、何でもいいからやってみた方がいいんです。まず相手が悦ぶことからスタートしてみる。そうすると本当に自分がやりたかったことが始まります。それがビジネスにおいても、とても大切な意味をもちます。

――すべて関係性の中から生まれてくるものなので、自分の価値も関係性によって浮き彫りにされてくるものなのでしょう。

玉那覇 仁さん:「私こんなことできます」と主張してみても、なかなか上手く伝わらないし、独りよがりになってしまいますからね。私もそうだったので、よくわかるんです(笑)。天狗になっていましたから。

――自己主張とか、ややもすると自己正当化している人が多いですが、どうやらそれも自信がもてないことの裏返しのように思えます。
前に出ようとしているけど自信がない、このギャップが大きい人は意外に多いですね。虚栄心を働かせるのではなく、私らしくあればあるほど、周囲の人たちは力強く頼もしく思えてくると思います。そうして信頼感が醸成されるのではないでしょうか。

玉那覇 仁さん:自己肯定感を高めようとか言っていますが、低いからこそ相手のことを思いやることができ、感謝の気持ちが高まるのではないかと思います。
無理に自己肯定感を高めようとするから疲れる。低いままでいいのではないでしょうか。

――みなさん、あっちに行きこっちに行きとたいへんですね(笑)。やはり情報過多なのか、惑わされ翻弄されてしまう要因が至るところにあるからでしょう。

玉那覇 仁さん:びっくりするのは、そういう人がコーチングとかカウンセリングをしていることです。これは負の連鎖をつくり出していますね。実は普段こういう話をしても、なかなか伝わらないんです。

――コンサルタントにも、実際に自分の経験や実体験を踏まえ確信をもってアドバイスしている人は少ないですね。机上の知識を伝えることが仕事になっている。だからクライアントの状況に応じて、現場で何が起きているのかという事実確認をし、事実にもとづいてアドバイスや見極めをすることができない。一般論や事例などの知識を伝え、後はクライアントが決めることというスタンスしか取れない。
クライアントは、現場で思いっきり五感を働かせて仕事をして問題課題を乗り越えようとしているのに、専門家が伝えるのは知識や情報に過ぎないので、現場では役に立たないし根付かないですよね。

玉那覇 仁さん:ロールモデルをつくって同じようにするとか、それ自体が西洋的なアプローチなんですよね。
100年後の子孫から、自分はどのように言われたいのか?そういうことを考えながら仕事をし生きていると、中途半端なことはできなくなっていきます。自ずと、自分自身の真っ当な心に従い生きていくようになります。
いつもお天道さまが見ているという意識になりますね(笑)。

――ああ、お天道さまは、ただそれだけでありがたいですしね。ところで子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?

玉那覇 仁さん:サッカー小僧です。小学校から大学まで、ずっとサッカーをやっていました。人見知りをする子どもでしたが、好奇心が旺盛でやんちゃでしたね。
首里城のそばで生まれ育ち、大学までずっと沖縄にいました。大学では電気・電子を専攻していましたが、4年になってコンピューターに目覚めたんです。それで、外資系の企業に就職して、初めて沖縄を離れ東京に出てきました。

いまだにサッカー小僧。なぜか手前に坂佐井さん

――子どもたちを見ていてどう思いますか?

玉那覇 仁さん:昭和 の子どもたちは自由に育っていたなあと思いますが、最近の子どもは親のコマになっているようで違和感がありますね。

――親が、子離れできなくなっていますね。

玉那覇 仁さん:ずっと手塩にかけて子どもを育ててきたのに、学校を出て就職したら子どもは親離れするので、その時になって「私の人生なんだったのか?」と思う親が多いのではないでしょうか?

――寂しいんでしょうね、親が。

玉那覇 仁さん:だからそういう親御さんから、サードプレイスをつくってほしいと言われるんです。自分の第3の居場所です。

――大人の居場所ですか。だったら田んぼや畑をサードプレイスにしませんか?子育てが一段落したら、稲や野菜を育てることで清らかな汗を流す。それ自体が、自分を生かし自分を生きる居場所になるのでは。
子育て真っ最中の特にシングルマザーの方の働く環境は、年齢とともに厳しくなっていくようです。会社は社員とその家族のためにあると経営者が思えれば、まずは社員の暮らしと健康を第一に考えます。その一つの在り方として、「田んぼのある会社」を増やしたいですね。これは社員にも、地域社会にとっても、当然会社のブランド力向上にもハッピーなことですから。

玉那覇 仁さん:面白い!清々しいですね!まずはやってみること、考えていてもしょうがないですね。いいですねー「田んぼのある会社」。社員が仕事の一環で、自然と触れ合いながら人間らしく働き生きる。そういう中に、分かち合いの心が育まれるんですよね。
いつもこんな話をしていると、玉那覇さんの本業は何ですかと聞かれます(二人大笑)。でも、自分が楽しんでいると、みんなも楽しめる。それでいいんですよ!楽しんでいる大人っていいじゃないですか。子どもたちにも、「早く大人になりな、楽しいよ」って、心から言えますから。
一度地獄を見ると、世の中にとってどうなのか、子どもたちにとってどうなのかを素直に考え、率直に言えるようになります。周囲の目や反応など、まったく気にならなくなりました(笑)。
すべてを失いましたが、生きる上で本当に大切なものを得ることができたと思っています。

――もう欲がなくなって、溶けていくような感じでしょう(大笑)。
今日は浮世離れしたもの同士の話ができて、とても楽しかったです。ありがとうございました!

私が20代や3.11で体験したことは、人生の機微に触れた出来事でした。ですから心が浄化されるような感覚がありました。
玉那覇さんは、地獄を見たといいます。何故そう思われたのか?それは人間世界の不合理や理不尽さによってもたらされた、どうしようもなくやるせない想いがあるからなのでしょう。
しかし、そう言いながらも玉那覇さんは、地獄を見たことで一気に人間の真理に近づいた人ではないかと感じます。
そしてご自身の感性を通して情けや温かみとともにポジティブな連鎖が生まれ、少しずつ広がっているように思います。
玉那覇さんは、地獄を見たついでに、一筋の光によってもたらされた天からのメッセージをしっかりと持ち帰って来た人なのでしょう。

「誰かが悦ぶと、私もうれしい」、この言葉に私たちはシンクロしました。
この言葉は、誰もがシンクロする言葉に違いありません。
人間とはそういう生きものです。

玉那覇さんは、私たちが本来そういう生きものであることを思い出させてくれる人でした。

■玉那覇 仁さんのプロフィール

大手ソフトウェア業4社勤務後、義理両親の不動産経営を引き継ぐ段階で、無実の被告人にされ裁判。全てを失った逆境からのひとり起業。日本人の心とWebマーケティングを掛け合わせた独自のビジネスアドバイスでインターネットを使った情報配信&セルフプロデューサーとして活動中。お客様は心理学協会やサロン店舗、個人起業家、女性支援など様々な分野に携わっている。

並行して学びを軽やかに伝えあう団体「ハーモニーブレイン」を設立。突出した個性がなくても輝ける小さな団体。専門家を目指すのではなく「相手の役に立つ」学びの伝え人を育成。自分をバージョンアップして、社会のハーモニー(調和)を創るオリジナル教材を毎月提供。ビジョンは心の奥底から分かり合える社会を創ること。沖縄出身、横浜・たまプラーザ在住。神社と猫と読書好き。最近はフットサルに夢中。言霊診断士の顔も持つ。

たまナビ・アカデミー (tama-navi.com)
ハーモニーブレイン (harmony-brain.com)

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