前田健成さんへのリレーインタビュー

アーユルヴェーダ カウンセラー&セラピストの池田早紀さんからのリレーインタビューは、私立ろう学校(特別支援学校)非常勤講師の前田健成さんです。

前田さんは“ろう(聾)者”、つまり耳が聞こえません。
また大学生の時に、自分がゲイであることを初めて自覚し、今は自らゲイであることをオープンにされています。
さらに23歳の時にガンの手術をされてから、人生の大きな転機があったと言います。

今回のインタビューは、前田さんの手話を手話通訳のEさん(匿名希望)が声にして、私に伝えていただくことで会話を進めていきました。
前田さんのお話しは、今ある暮らしや社会を違う立場から見た場合にどのような社会に映るのか、如何に私たちが常識という“刷り込み”を重ねて生きてきたのか等、静かに問題提起をしてくださいます。

とても大切なことを話しているのに、会話は柔らかい感覚の中で進んでいきました。(聞き手:昆野)

 

――耳が聞こえないのは生まれた時からですか?

前田健成さん:そうです。生まれつきです。

――最近では人工内耳手術によって聞こえるようになった人も多いようですが、前田さんはそういう手術をされたことはあるんですか?

前田健成さん:私はありません。人工内耳手術は今世界的に議論されていますが、どちらかと言えば成功例だけが伝わっている状況です。実態としては失敗例もあり、聞こえるようになるのは個人差があります。一方で、人工内耳を装用することで“聴者”になるかも知れませんが、ろう者としてのアイデンティティの問題が生じると思います。聞こえるようになるかどうかは個人差になるので、聞こえないという不便さを感じる人は、“聴者”“ろう者”2つのアイデンティティが交差していきます。
私はろう者としてのアイデンティティを持って生きているので、私自身は人工内耳には抵抗があり必要だとは思っていませんし、補聴器を付けていても付けていなくても特に支障はないので、このままでいいと思っています。

――今、右耳に付けているのが補聴器ですか?

前田健成さん:はい。これは音だけを拾うものです。

――音だけを拾うとはどういうことですか?

前田健成さん:例えば、みなさんの声は声としては聞こえません。つまり50音の区別はつかないという状態です。電車の音も聞こえません。ろう者によっては、補聴器で声が聞こえる人もいますし、補聴器のない生活が怖いと思っている人もいます。(これも個人差があり、補聴器で声を聞き取れる人もいて、補聴器の使い方は人それぞれです)

――前田さんは、小さい頃から特別支援学校に通われたんですか?

前田健成さん:そうです。いくつか転向しましたが、立川ろう学校ひよこ組(乳児クラス)に1年、幼稚部に2年、 地域幼稚園に1年、地域小学校に1年、その後小2から高3までろう学校に通い、大学は一般の大学に通いました。

―― 一般の学校に通いたいという想いはありましたか?

前田健成さん:私自身はろう学校で育ったので特に意識することはなかったのですが、20年ほど前から社会的な流れとして聴者社会に溶け込んでいくために、母親は地域校に入れさせたかったようです。
ろう学校から地域校に転向した友だちもいましたが、コミュニケーションが上手くいかず、授業も目だけでは情報を得るのは難しかったようです。地域校の生活に満足している人もいましたが、満足しているという人はほとんど聞いたことがありません。個人的には、ろう学校で育って良かったと思っています。なので、私が大人になって初めて聴者に囲まれたのは一般大学の時でした。

生まれたときの写真です。まさか聴覚に障害があるとは誰も思いませんでしたね。

3歳の誕生日です。ポケット型補聴器を付けていました。

――普段の生活で困っていることはありますか?

前田健成さん:最近は駅構内のアナウンスも文字化されている場合が多くなっていますが、駅のホームにいる時に定刻通りに電車が来ない場合は何があったのか、周りの人たちの表情や様子から判断をして行動しています。あるいは講座に行こうと思っても手話通訳がいない場合が多いので予め手話通訳を頼む必要があります。その場合1週間前までに申し入れなければならず、参加を諦めざるを得ない場合があります。(運が良ければ、前日でも派遣ができる場合があります)
他にも「クレジットカードを紛失した時に、電話で本人確認ができない」「病院で名前を呼ばれても気がつかない」「災害時に情報を得ることができない」など、聞こえない人たちがそういうことに慣れて、別の方法をとってしまっている現状があります。聴者優位主義(聞こえることが当たり前の世界)の中で、聞こえない人たちは「情報弱者」です。たったそれだけのことで命に関わることがあるということに気づいて欲しいですね。

――いま、特別支援学校の先生をされているんですか?

前田健成さん:小学部の非常勤講師をしています。今は3・4年生の社会と5年生の算数を教えていますが、去年までの2年間は担任の教師をしていました。とても忙しくて自分の身体のことを優先して今年4月から非常勤講師になったんです。

――体調を崩されたんですか?

前田健成さん:はい、医者から適応障害と診断されてから「あっ、もう危ないな」と自分の身を案じて、担任をやめるという決断をしました。実は元々体が弱く、今32歳ですが、23歳の時に精巣腫瘍が見つかりました。そのため右の精巣を取り、治療の順番として、抗がん剤4クール、肺転移の死滅したがん細胞を摘除、リンパ節についていた多くのがん細胞を摘除の流れで闘病生活が終了しました。末期ガンでしたが運が良かった、奇跡だと医師に言われました。

――今は大丈夫ですか?

前田健成さん:寛解しています。闘病生活後は筋肉が落ちたので、犬の散歩や加圧トレーニングなどを通して、少しずつ行動範囲を広げていきました。また、化学療法によって体が歪められたので、金属アレルギーなど様々な副作用が今でも起こっています。それもやっと慣れてきた感じです。そういう経緯があって、私の体は一般的な同世代と比べて弱く、かなり疲れやすいですね。

――良かったですね!今のお仕事は楽しいですか?

前田健成さん:非常勤になってから楽しいです(大笑)。

――正解でしたね(笑)! そのまま我慢して仕事を続けていたら、また病気になっていたかも知れませんからね。辛いのを我慢して仕事をしている状態は組織にとっては都合がいいですが、やっぱり楽しく仕事をしていなければ、本当の意味で世の中の役にも立っていないんじゃないかと思います。
これからも非常勤講師として仕事を続けたいですか?

前田健成さん:はい、子どもが好きなので。自分から非常勤講師に変えてほしいと申し入れた時に、私自身も教育に携わって子どもたちと一緒にいることが好きなんだとあらためて実感しました。

――どういうお子さんでしたか?

前田健成さん:小学6年までは家の中でゲームをしたり漫画を読んでいることが多く、外に出るのはあまり好きではなかったですね。学校ではいつも図書室で本を読んでいたので、よく先生から外で遊べと言われていました。

――人と接するのが億劫だったからですか?

前田健成さん:自分の世界にいたかったんです。『シートン動物記』が大好きで、いつもそれを読んでいました(笑)。

――好きなことをやっていたということですね(笑)。

前田健成さん:どちらかといえば、ゲームや漫画を読むインドア派でした。外に出るのが大嫌いでした。学校でもあまり周りに興味がなかったようです(三人大笑)。そういえば小学生の時は肥満児で、どちらかといえばスポーツはあまり好きではありませんでした。当時、ゴム跳びや一輪車など女の子の遊びに惹かれていたのですが、女の子の遊びだったので、その輪に入ることができなかったことも要因かもしれませんね。

小学生の時は肥満児でした。

――ご兄弟はおられるんですか?

前田健成さん:三人兄弟の三男で末っ子です。

――そうですか、私は四人兄弟の四男です(笑)。

前田健成さん:末っ子は“末っ子最強説”が多いと言われていますが、昆野さんはどうですか?

――私の場合、未だに好きなことをやるのが当たり前という感覚が根強くありますね。三人の兄よりもずっと自由に育ってきた気がします。言い換えれば“野放し状態”ということですが(大笑)。

前田健成さん:私の場合は生まれながらろう者だったので、母は心を鬼にして私を厳しく育てました。周りからは「箱入り息子」とよく言われていました(笑)。

――今でも厳しいですか?

前田健成さん:まあ、未だに頑固ですね(大笑)。私が大学生の頃から理解を示してくれるようになったので、子どもの頃の厳しさはなくなりましたが。きっかけは、それまで両親とはずっと口話だけでやってきたんですが、いざ社会に進出してみると口話だけで対外的なコミュニケーションを図るのは難しいのが状況だったので、そのことをちゃんと毎日のように母に伝えた頃から理解してくれるようになりました。

――口話というのはどういうものですか?

前田健成さん:ちょっとやってみますね。

(そう言って突然、前田さんが話し始めました。30秒ほど話をされた後に、また手話に戻りました。)

このように声を出して話すのが口話で、自分の声が聞こえないのでちゃんと話せているかわからないし、聞こえない人って口話ができるんだと誤解されることも多いので、口話を回避して手話で通す人も多くいます。(自分からの一方的な話になって、相手の話していることを理解できないため)

――手話はそれぞれの国によって違いますが、世界共通にはなり難いものですか?

前田健成さん:この質問は“聴者”の定番の質問で、これまで100回以上答えた質問です(笑)。私としては抵抗があって、世界中の言語を英語に統一してしまうのと同じような考え方だと思っています。私はアメリカ手話、タイ手話、スペイン手話、オーストラリア手話を学びました。世界中の言語と同じ数だけ手話がある方が自然だと思いますね。

タイ交流の時の様子。高校生の時です。

大学2年生の時にスペイン留学しました。

――アメリカでも勉強されていますが、日米の違いはどういうところにありましたか?

前田健成さん:日米どちらもいい面もあるし、日本にあってアメリカにないものもあります。
例えば、日本には障害者法定雇用率があり民間企業は社員数の2.2%の障がい者を雇用しなければならないため、ろう者はどちらかといえば大企業での仕事を確保しやすいです。仕事の保障があるのが日本の状況です。(日本は障がい者は福祉的であるという考え方から来ているため)
アメリカの場合は逆にそれを差別と考え、なぜ障がい者だけを守るのかという平等性が問われることになります。実際、アメリカで会ったろう者は自営をしている人が多く、守ってくれるという文化はアメリカにはありません。(権利は平等であるという考え方から来ているため)

――アメリカではゲイの人たちとも知り合われたようですが、その点でも日米の違いを感じましたか?

前田健成さん:アメリカに行くまでは、自分がゲイであることを家族にもオープンにしていませんでした。日本にいると、自分からオープンにするのはかなり勇気のいることです。
そんな中、ダスキン愛の輪基金のダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業に申し込みをし、第34期研修派遣生に選ばれました。アメリカに行くことが決まった時のテーマが『ろうLGBT』だったのです。後で、そのことがホームページに掲載されることを知り、両親にすぐにバレてしまうと思い、バレる前にLGBTであることを話しました。その時初めて家族にカミングアウトしました。カミングアウトとは自分の性を表明するという意味です。ちなみにLGBTのLはレズビアン(女性同性愛者)、Gはゲイ(男性同性愛者)、Bはバイセクシャル(両性愛者)。Tはトランスジェンダー(生まれた時に法律的・社会的に割り当てられた性別にとらわれない性別のあり方をもつ人)です。
その後、少しずつFacebookやGmailにあった連絡先などを通して、僕と関わる人たちにゲイであることをオープンしました。これをきっかけに私はオープンリーゲイになりました。

ゲイと自覚してからオープンにするまでの10年間、ずっと家族や社会に対して怯えや恐れをもち、ゲイであることを隠して生き続けてきました。その後も、日本にいると「ストレート(異性愛者)に戻れないの?」「顔立ちがいいのにゲイで勿体無い!」というような否定的な発言をたくさん受けました。
その後アメリカに行き、ろうLGBTの講演会に参加した際に、私がゲイであることを伝えても「あっそうなの」と肯定的であることに驚きました。ろう LGBTのみんなはとても生き生きとしていて、ゲイである私が夢見ていた姿でもありました。
アメリカろうLGBTの人たちは堂々と街の中で、恋人同士手をつないで歩き、自由な恋愛をしている。結婚もでき、子どもを持つことも“出来る”。私にとってそれはカルチャーショックであり、とにかく焼きもちを妬いて仕方ありませんでした(笑)。それと同時に、彼らが私のロールモデルになり、ゲイとして“生きる力”をたくさん貰いました。
私が滞在したカリフォルニア州でも、2015年6月26日に連邦最高裁判所の判決により、全50州に同性婚が合法化されたばかりでした。その瞬間に立ち会えたことも素敵な想い出です。

3年前のアメリカ留学で僕のロールモデルとなったブライアンさん(右)です。
彼はゲイで、養子(ろう児)を3人持ちました。

――初めてご両親に伝えた時はどういう反応をされましたか?

前田健成さん:父は「何かできることはある?」と協力的でしたが、母は自分の息子なので「理解はするけど息子以外のLGBTの人への理解はできない」と言っていました。「でも次の住処が見つかるまで家にいていい」と言ってくれました。実はこれをきっかけに家を追い出されることを覚悟していました。居にくいけれどありがたかったですね。実際、勘当されてホームレスになるLGBTの人たちも日本のあちこちにいるのが現状です。

――今でもお母さんはそういう感じですか?

前田健成さん:今はその話題はタブーといった感じで一緒に生活しています。

――ゲイであることを、いつどのようにして知ったんですか?

前田健成さん:大学4年の時に一目惚れしたのが男性だったのがきっかけでしたが、過去を振り返ってみると親戚のお兄さんを見てカッコいいなとか、小学生の頃から男性に惹かれることが多くありました。ただ、ずっと自分がゲイだという自覚はありませんでした。
一目惚れした後、高校時代に知り合った学校の先輩で、女性から男性になったトランスジェンダーの方に相談に行きました。「ハッキリ言ってあなたはゲイだ」と言われ、初めて自覚することができました。
私がその時自覚できたのは、その知人が“可視化”された状態だったためでした。だから私が悩み始めた時、その知人の顔がパッと想い浮かびました。
もし“可視化”されていなければ、自らゲイだと認めることは一生なかったと思います。ダスキン愛の輪基金の海外派遣事業に受からなかったら、一生クローゼットで暮らしていたと思います。(クローゼットとは、自分の性を秘密にするという意)

――社会的な意味でも、“可視化”するということが重要なんですね?

前田健成さん:とても重要だと思っています。私のスタンスとしては、自分のことを“可視化”していくことで社会的な変化をもたらすと考えています。
私から見た日本の社会は、LGBTの人も参加しやすくなり変化しているとは思いますが、まだまだLGBTであることを隠さなくてはならない人も多くいます。その根底には社会的な“刷り込み”が根強くあり、男と女が結婚し赤ちゃんを産むのが当たり前だとか、ろう者は福祉の対象だとか、ほとんどの人が刷り込まれて生きています。その刷り込みを取り除くきっかけをつくらなければならないと考えています。そのために私ができることが“可視化”だと思っています。
今勤務している学校でも、他の先生と一部の子どもたちや保護者は、私がゲイであることを知っています。10年後20年後に子どもたちの誰かが、もしかしたら自分はLGBTかも知れないと悩んだ時に、私のことを想い出して相談してみようと思えればとても嬉しいことです。“可視化”することによって、そういうことが起きると思うんです。

なぜ“可視化”が必要かと言うと、聴覚障がい者は見えない障がい、LGBTは見えない性、さらに少数派であるため、誰かが常に見えている状態ではないと「僕と同じ仲間がいない」と思ってしまうからです。ノンフィクション本も、ある意味“可視化”の一部ですね。
今でも聴者から「耳が聞こえない人に会ったのは初めて」なんてよく言われます。そんな言葉がなくなって欲しいという意味も込めて自ら“可視化”しています。

――今後日本はアメリカと同じように、たとえ障がい者の雇用が確保されにくくなったとしても、平等で公平な社会を目指すべきだと思いますか?

前田健成さん:必ずしもそうは思いません。制度化やルール化以前に、もう少し広い気持ちをオープンにもって、寛容な心で、もっと“人として見る”ことの方が大切なのではないかと感じます。私が留学したサンフランシスコを含むベイエリアはそんな地域でした。私自身がろう者であること、ゲイであることを忘れてしまえるような不思議な場所でした。
日本人はカテゴリーにとらわれ過ぎていて、さらに言葉尻だけをとらえ理解したような気分になってしまいます。例えばLGBTという言葉だけを勉強して、LGBTという4種類の頭文字を知っているかも知れませんが、実際は50種類以上もあります。ろう者も聴覚障がい者と一括りにされていますが、実際はろう者、難聴者、中途失聴者、高齢による聴力低下など様々です。立場も考え方も一人ひとり違うということを知ってほしいし、そういう人たちがいることに対し、「そうなんだ」と素直に受け容れてもらえるようにしたいんです。聴覚障がい者が1万人いれば、1万通りの生き方があるんです。

例えば、補聴器の助成等の福祉制度は必要ですし、障がい者の雇用を推進する法律も必要です。それとは別に私のことを福祉的な見方ではなく、対等に見るという人間的な要素も大切です。平等、権利、公平も大事ですが、ダイバーシティという言葉に囚われずにそれぞれがそれぞれの生き方をしている、それを受け容れる社会であって欲しいと思います。

――“違っていて当たり前”ということですね!

前田健成さん:言葉ではなく、“人として見る”ということだと思います。会ってみて、人としていいと思えればそれでいいし、自分は合わないと思えばそれはそれでいいということかな。

――“人として見る”、とても重い言葉ですね。
これから何かしたいことはありますか?

前田健成さん:体調を崩して4月から非常勤になったので、まずは自分の身体を大事にして働きたいと思います。社会の働き方について行けなくてどうしたらいいのか迷いましたが、自分は非常勤の立場が合っていると思うし、好奇心旺盛なので色々なことに興味をもって生きていきたいと思っています。
さしあたって5月1日から、デフ(英語でろう者という意味)・クラウドというサイトを立ち上げましたが、私はこのサイトを通して沢山のDots(点々)を提供していきたいと考えています。Dotsというのは例えば出来事だったり、きっかけだったり、ターニングポイントだったりします。どのDotsが誰にとってどのように必要なDotかわかりませんが、Dots(点々)がLine(線)になった時、すべてのことに意味があったんだと感じることができると思っています。その気持ちを多くの人たちと共有できたらいいなと考えています。そのために、下記のことを私は大切にしています。
・つながりを大切にします
・固定概念を壊します
・嬉しい楽しい気持ちいい時間をともに過ごします

――本来すべてはつながっている。それを断ち切っているものは、自分の意識ですからね。
いま一番ハマっていることは何ですか?

前田健成さん:これまで私は趣味もなく、夢ももったことがありません。何か狭く深いものを一つもつために、色々やってみましたが上手く行きませんでした。浅く広く何でもしてみるタイプなんです。私自身がそれを受容できるようになり、今は『脱出ゲーム』のプロジェクトに関わらせていただいています。
そういえば屋久島で、ろう者夫婦が完全無農薬農業をしているので、今年8月に農業体験に行く予定です。今は何でもやりたいと思っています。あらためてハマっていることと聞かれたら、「非日常体験をすること」がしっくりきますね(笑)

――病気を経験されて、人生観は変わりましたか?

前田健成さん:大きく変わりましたね。病気になる前は、社会貢献のために頑張らなくてはならないという想いが強くあり、身体を酷使してまでも頻繁にボランティア活動をして、人のために生きていました。ガンになり、手術をし、アメリカに留学してからは、自分を大切にして自分を好きになった上で、社会に貢献することが大事なことだとわかりました。人間関係も大きく変わり、活動内容も変わり、自分の身体と向き合うことを大切にしています。ある意味では寂しい部分もありましたが、第二の人生だと思って歩いてきました。
それでも、その真髄を理解することはできず、結局、帰国後の2年間は何を頑張ったのか覚えていないくらい忙しく、心の余裕がありませんでした。担任を降りてから、やっと自分の身体と本気で向き合うことができるようになりました。

――病気も大事なメッセージですよね。私は交通事故と病気が続いた時は、「これでもお前はわからないのか!」と何度も何度も言われている気がしてしょうがなかったんです。メッセージに気づき難い心身の状態だと、メッセージを送る側は過激な行動に出るのかも知れません(笑)。

前田健成さん:すべての人にメッセージがあると思いますが、忙しすぎたりしてメッセージをちゃんと受け取れない人が多いのだと思います。みんなメッセージを受け取る余裕をもって生きてほしいですね。闘病生活後、「身体のSOSに気づいて!」と、いつも周りに話をしています。

闘病生活終了してから4か月後の写真です。

――身体のSOS、いいですね!ピンピンコロリと死ぬと決めたら、生き方も決まりますからね。最も大切な自分のセンサーを、機能する状態にしておくという感じでしょうか。
子どもたちには、どのように生きてほしいですか?

前田健成さん:今私が接している子どもたちは社会的な拘束も少ないし、概念もまだ形成されていない自然な状態です。このまま大きくなって、いずれ大なり小なり社会的に刷り込まれ、ルールに縛られ、周りに合せて染められていくとは思います。しかし、私自身も自分の生き方を見つけられたように、子どもたちにもそれぞれ自分の生き方を見つけてほしいと思っています。そのためにも私は私なりの生き方をすることで、ろう者でもこういう生き方があることを見せたいなと思っています。これも“可視化”になりますね。
人生いくらでもやり直しが利きます。日本では会社に就職するという人が多いですが、その会社や仕事が合わなければ、アメリカのろう者のように会社を起こす道もあれば別の道もある。人生は可能性に満ちており、様々な選択肢があることを知ってもらいたいし、それらは自分の生き方によって現実味を帯びてくるということを伝えていきたいと思っています。

――人生にはいくつもの選択肢があり、何度でもやり直せる。是非、実践を通して子どもたちに伝えてください!
ありがとうございました。

「人として見る」
聞き流してしまいそうだったその言葉を、あらためて心に止めイメージしてみると、悲しみが湧いてきました。

「刷り込まれている」
3.11を機会と捉えた場合、この時代を生きる人たちが“刷り込み”から解放される機会だったと私は思えてなりません。

「聞こえる人」は、日々大切なことを聞き流して生きていて、「聞こえない人」は、自らの心の声に耳を傾け生きているのかも知れません。(このことについて、前田さんから以下のコメントをいただきました)

――実は「聞こえない人」も「聞こえる人」と同じように、“聞き流す”ならぬ“見流す”人が多いんですよ(笑)。結局は、自分の心の声に耳を傾けているかどうかは障がいではなく、LGBTではなく、その人の心のあり方次第なんでしょうね。不思議です。僕もこの文を読んで改めて感じました。――

そして前田さんは、「夢をもったことがない」と繰り返し言われました。
そのことがどういうことなのか、まだ私は理解していません。

前田さんは、異なる次元から“心の声”を届けてくれる人でした。

 

■前田健成さんのプロフィール

現在、ろう学校小学校教諭(非常勤)。Deaf Cloud(デフ・クラウド)を通して、ろうLGBT相談窓口、講演活動、手話指導を主に、様々な企画を立てています。詳細はホームページをご覧下さい。(LINE@を通してお問い合わせができます)

 

 

・ 2015年1月〜12月 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第34期研修派遣生 研修テーマ「聴覚障がいLGBTの立場から社会への理解普及および情報獲得しやすい環境づくり」
2018年2月20日二部出演 LGBT教材DVD『11歳の君へ』
前田健成さん(DVD『11歳の君へ』出演)の講演(動画・文字起こしあり)
異言語脱出ゲーム

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