私のリアクション点検―1 「サツマハヤト」

<写真:ゴーヤの花 ピカッと小さく光る>

ある往年の大スターKさんの 舞台の稽古を見ていたら、嫌な気分になった。彼の「ハッハッハ!」という高笑いがゾッとするのだ。私以外は誰もそんな風に感じている気配はない。引っかかっているのはどうやら私だけのようだ。引っかかったら心の階段を下りて行き、点検してみる。私は、今、Kさんをどう受け止めているのか、自分の心に何が起きているのか、よく見てみた。

とんでもない下手くそな演技!

私は舞台の演出の仕事をしていて、こんなふうに俳優に対して思うことはまったくない。もし仮に「下手だな」と思ったら、まず相手の緊張感をほぐす会話をし、その役をどう思っているか尋ねる。役への理解を深め、自分と役の共通点や、共感する点を一緒に探す。その役の子ども時代はどんなだったのか、ともに想像する場合もある。その役のなかに共感する点を探すのだ。それがひとつでも見つかれば、必ずと言っていいほど演技は変わり、存在感が出てくる。

でもこの時ばかりは、ただ下手で、手の打ちようもなくダメな俳優で、降りた方がいいよ!とまで思った。とても傲慢で暴力的な気分の私が登場している。わたし、いったいどうしたの?これ、嫌悪に近い。この感情はどこから来るのか?

ふと、「あ、サツマハヤトだ」と思った。目の前の俳優がわたしの父を代表とする鹿児島の男のイメージに重なったのだ。だから嫌なんだ。欲得がギラギラしていて大声で尊大で。

「俺は薩摩隼人だ!」と叫んで、酔った父は母に手を上げ、根拠なく威張っていた。父母のどなり合う声で毎晩 のように目が覚めた。酔って起こされる夜は小学校に入るまで続き、わたしは怖くて毎晩のようにわあわあ泣きながら夫婦喧嘩を止めようとしていた。朝になると泣きすぎて二重瞼が一重になっていた。目が腫れても保育園や小学校を休むわけにはいかない。 泣き腫らした目を氷で冷やして家を出るが、まぶたは重く、 腫れはなかなかひかない。どうしたのと、問われるのが面倒で、1日うつむき、誰とも目を合わせないようにしていた。

俳優のKさんには私に嫌われる理由はなにもない。私のあの過去が心の中で暴れているのだ。泣いている母を守ろうと私が激しく戦っている相手が「サツマハヤト」だったのだ。50年以上も前の気持が蘇る。薩摩隼人は足の速い威勢のいい、大和朝廷に歯向かい、滅びた薩摩地方に住んでいた民族だともいわれている。薩摩隼人は朝廷から弾圧を受け、走る力も生かされず、エネルギーを持て余し、イモの酒を飲み、ストレスを女たちにぶつけていたのかもしれない。いまだ鹿児島は男尊女卑の習慣がのこる土地だ。薩摩隼人の末裔を誇る父は鹿児島から東京に出てきたものの、戦後10年後の高度成長時代の波に乗れず、酒と女におぼれ、「男は何をしてもいいのだ」と言いながら、酔って母に威張り散らし、荒れていたのだろう。

父の古い写真立ての写真を変えようとしたら裏側に若い男女がならんで微笑むものが出てきた。私が見たことのない幸せそうな父母だった。長い間、わたしは憎み合う男女から生まれたのだと思っていた。「今」は下から古いものを押し上げるようにやってくるから、その上に様々な思い込みが降り積もっていて本当の「今」がうもれて簡単には見えない。自分の感覚を過信せず、自らのリアクションを点検して、「今」の真実に近づきたい。

明日また稽古を見に行く。あの写真を見た私は、Kさんと新しく出会えるかもしれない。

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