井上能宏さんへのリレーインタビュー

演出家・プロデューサーの竹田光一さんからのリレーインタビューは、『知財で日本を元気にする会』の井上能宏(よしひろ)さんです。 

井上さんは3.11に大きな衝撃を受け、運命的なものを感じ、様々な支援を続けながら被災された方々と関わっておられます。お話しをお聞きしていると、何かに突き動かされているとさえ思えるほど、穏やかさの中に力強いエネルギーを感じます。 

官僚という仕事をしつつ、ずっと3.11と関わり続けていこうとする井上さんのエネルギーの源泉は何なのか。話せば話すほどお話しは深まり、多岐に渡って拡がっていきます。どこまでもどこまでも知識欲の旺盛な方です。
(聞き手:昆野) 

 

――『知財で日本を元気にする会』という活動をされていますが、知財(知的財産)でどのように日本を元気にするのか、あまりイメージできないのですが。 

井上能宏さん:そうですよね、私も上手く説明できないんです(笑)。2年ほど前に、その会の代表としてとあるラジオ番組に呼ばれて説明させていただいたのですが、話し下手なのでダメ出しされてしまいました。わかりにくい!録り直し!とか言われて(二人大笑)。 

――例えばアニメやマンガに代表される“クールジャパン”。日本固有のアートなどが海外で人気を呼んでいますが、そういう新しい文化で日本を元気にしたいと言うことでしょうか? 

井上能宏さん:クールジャパンだけではないですが、近いですね。クールジャパンっていうのは、政策的側面や文化的側面などがあって多義的なんですが、わかりやすいものとして、確かに、食べ物、ファッション、映画、音楽、マンガ、アニメなどがありますよね。あと、時間通りにちゃんと電車が来る!とか、自販機におカネを入れると商品もおつりもちゃんと出てくる!とか、災害後の混乱時でもみんな並ぶ!とか、日本の社会様式とか、日本人の行動様式とかもクールジャパンとして扱うこともありますね。 

そういった日本人が創ってきたものって日本人の財産ですよね。誰かが何かを想いを込めて創ってる、あるいは、創ってきた。その想いというのは日本固有のもの。そういうものを、土地とか車とかお金そのものとか、経済的価値の観点からみる通常の「財産」とは区別して、「知的財産」というんだと思っています。つまり「知的財産」というのは、想いのこもった財産のことです。ロボット、スマホ、ドローン、自動走行自動車などにはアイデアが込められているし、音楽、アニメ、映画などには、思想または感情が込められています。もちろん法律的な定義もありますよ。でも、こう言った方がわかりやすくないですかね。多少正確性に欠けるかもしれませんが。 

日本人が想いを込めて創ってきた知的財産を、互いに尊重して、自信もって世界に拡げていくということをすれば、震災の復興も必ず成し遂げられるし、日本はもっともっと元気になると信じています。

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『第10回知財で日本を元気にする会』 

――確かに日本にいると当たり前に思えていることでも、“ちゃんと”しているものというのは、しっかりとした技術やノウハウに裏づけられているものが多いですね。外国人から見たら“美しい”と感じるものばかりかも知れません。いいですね、日本(笑)!知財という視点で日本を見ると、起きていることや身の回りのことが違ってみえてきますね。
何がきっかけで『知財で日本を元気にする会』を発足されたんですか? 

井上能宏さん:そもそも私は“つなぐ”ということが好きなんです。実は知財の業界って、特許庁が所管している、特許とか意匠などの工業所有権と呼ばれるものを扱っている業界と、文科省の文化庁が所管している、いわゆるコンテンツに関する著作権を扱っている業界とに大きく二分されてしまっているんですよ。だから、例えば技術者と作曲家、研究者と映画監督ってお互い違う業界にいるから出会いが少ないと思うんですよね。両者とも何かを生み出そうとしているという意味で同じだし、協力すべきところは多々あると思うんですけど。それから、ゲームやソフトウェア、あるいは「初音ミク」などは、両者の真ん中の領域に位置づけられているものもあります。つまり特許も著作権も両方関係している業界です。こうした業界同士の交流がもっとできたらと思っていました。 

そこで、文科省出身の知人と特許庁出身の私の二人で、大きく二分されている業界をつなげてみようと考えて、この会をつくろうと話したのが発端です。あまり考えずにfacebookで人を集めてみたら、1回目からいきなり80人くらい集まってしまって、びっくりしてしまいました。今まで10数回、交流会を100人弱の規模でやってきましたが、これだけ人が集まるというのは、知財関係の大きな二つの業界をつなげるような交流の場が今まであまりなかったからなのかもしれません。

 11回知財

こちらも『第11回知財で日本を元気にする会』
(前列中央右は日本刀をもった竹田光一さん) 

――なぜ知財の仕事をしたいと思ったんですか? 

井上能宏さん:元々、学生時代はずっと理系でしたが、一方でいわゆる哲学が好きだったんです。中でもヒトって何?みたいな生命の謎みたいなものに興味があったのですが、考えるだけでなくて、技術を身につけたかったんですよね。具体的には遺伝子工学でした。他方で、当時、地球温暖化に関する京都議定書が何かと話題になっていて、いわゆる環境問題に関心をもっていた時期でもありました。それで、大学院では遺伝子工学を使ってCO₂問題を解決するという研究をする道を選びました。要するに哲学と技術と地球に興味があったということだと思います。 

当時はバイオの力でCO₂を効率よく吸収する植物を創ることができないかという研究をしていて、自分が生きる道はそこしかないと思い込んでいました。その頃はそれこそ研究者として“地球を救いたい!”と真剣に考えていました。微妙な動機ですね(笑)。しかし当たり前なんですが、研究の道というのは、狭い領域を根気よくどんどん深く掘り下げていかなければいけない世界ですよね。深掘りしていくのは研究においてとても大事なことではあるのですが、社会との接点がわからなくなり、自分が何をやっているのかよくわからなくなってきたんですね。なので多分、分析の道よりも総合の道を選びたいと思ったんだと思います。 

でもそれまでの経験を無駄にするのももったいないので、バイオの研究の経験を生かしつつ、社会との接点が多く、総合的に技術に触れられる仕事がしたいと考えるようになりました。あと、研究室で「DNAチップが高価なのは特許のせいだ」みたいな会話をしていて、特許ってすごいなって思ったこともありました。それで、バイオ技術関連の発明を審査する審査官になりたいと考えて特許庁に入ったんです。 

入庁してからわかったことですが、日本の技術情報が具体的にすべて集まるところは特許庁が唯一ではないでしょうか。それから、特許庁は出願された発明を審査して、特許権を付与するかどうかを決めるところなのですが、もう一つ入庁してからわかったこととしては、「発明」っていうのは、「発見」と違って、ほとんどの場合「組み合わせ」なんですよね。何かと何かを組み合わせれば新しいものが生まれるんです。人と人、業界と業界をつなげば、新しいものができるんです。だから知財の会というのも作ってみれば新しいものは生まれるはずって思ったのかもしれません。言われてみれば当たり前かもしれませんが。 

――なるほど、やっとわかりました。それは面白いですね!
例えば知財自体は個別のものであっても、様々な技術やサービスと組み合わせることで、新たな価値を生み出せる可能性がありますね。公務員の立場ではビジネスはできませんが、第三者として考えると限りない可能性を感じます。 

井上能宏さん:そういう意味では、可能性は無限大かも知れません。私自身、やりたいことをやるためにはどうしたらいいのかを追求していて、気がついたら公務員だったという感じです。未だに公務員らしくないと言われてしまうことも多いですが。 

――確かにそうですね(二人大笑)。 

井上能宏さん:学生の頃は“地球を救いたい!”と真剣に考えていましたが、今は世の中をどうしたいというよりも、まずは自分のやりたいことを楽しくやっています。普段の仕事もすごく楽しいです。哲学にはまっていたこともあるせいか、上から目線というかメタ目線でものを考えることが好きなので、公務員的に、日本や世界をこうしたい、とか、こうあるべきだ、とかを考えるのももちろん好きなんですけどね…。 

――楽しくない人は変えられないし、いい影響を及ぼさないですよ。楽しそうな人には人が寄って来るし、子どもたちだって安心できます。大人が楽しくないと世の中良くなりません。 

井上能宏さん:そう思います!まず自分が楽しくいられることが大切ですよね。義務感で生きていてもしょうがないですからね。例えば“社会的な意義”についても、それを目指すようなものではなく、自分が楽しいと思うことを続けることで、結果として社会がより良くなれればいいのかなと思っています。 

ただ、自分のやりたい放題にやるというのも少し違って、そこは、他者への配慮ももちろん必要で、知財と絡めていうなら、知財って、さっき言いましたが、誰かの想いが入った財産のことでしょう?とするなら、知財を尊重する、つまり、その知財を創った人を尊重する必要があると思うんですよね。自分がデザイナーとして成功したいと思っても他人のデザインをパクるとかはしないってことです。他人の知財を尊重しつつ自分のやりたいことをやる、といえばいいでしょうか。まあもっというと、尊重すべきは、他人の知財だけでなく、思想だったり、人格だったり、文化だったりも含むんでしょうけどね。 

結局のところ、他人を尊重しつつも自分がやりたいことをする生き方って要するに『自己実現』が基本だと思うんですが、個々人が『自己実現』をしようと考えて行動することで、世の中はもっといい方向に向かうと思います。結局、ボランティアも突詰めてみるとそうですよね。人のためにと言いつつ、私自身も自分の充実感や満足感を感じることができるからやっている訳なので。 

――多くの人たちはボランティアという非日常に、いろいろな“実感”を求めていると思います。それは人の役に立っているとか感謝されてうれしいという実感であり、さらにそれらを通じて“自分の存在”を実感できるのでしょう。裏返せば、日常で実感できる機会がほとんどないということです。多くの人は、日常において“自分の存在”を実感する機会が乏しくてあきらめているように感じます。
そういうあきらめが一人ひとりの心の歪としてあり、それが世の中全体として大きな歪になっていて、自分がその原因になっていることに気づいていません。日常における個々人の歪を解消できるものは、心の底から楽しいと思えることをすることだと思います。特に子どもたちへの影響は大きいので、つまらない顔をしていることは“罪”、と思えるような感覚が大人には必要ではないかと思います。 

井上能宏さん:非日常の一部を日常にもってくるということですね。いい表現ですね!ボランティアも被災地にいかなくたって、日常の中でできますからね。電車で席を譲ることだってそうです。人に「ありがとう」と言わればうれしいし、多分そう言われている自分を認めたいという気持ちがあるでしょう。結局、やはり『自己実現』ですよね。みんな自分のために生きてほしいなあ。とかいうのは言い過ぎなんですかね。ところで、『この世界の片隅に』という映画はご覧になりましたか? 

――いいえ、観ていないです。 

井上能宏さん:震災を意識したところもあって、絶望を感じながらも、日常をどう生きるかということがテーマになっています。あまり話すとネタバレになるので、とにかくご覧になってください。“社会を変える”とか“社会をより良くする”といった考え方が最初に来てしまうと、人に対して強制的になったりしてしまうので、小さなことでもいいから自分が本当にやりたいこと、本当に楽しいと思えることを、一人ひとりがやれるようになることが大切だと思います。

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『この世界の片隅に』の片渕須直監督
(ご本人に掲載許諾済)

 ――「強制的」、確かに気をつけなければならないことですね。実は私も“社会”という言葉を、あまり使いたいとは思っていません。社会企業家とか社会ビジネスとか言っていますが、敢えて“社会”を付けなくてもいい状況にしたいんです。そもそも仕事も企業も社会があって成り立っている訳で、その逆ではない。そう考えれば仕事も企業も社会の役に立つのが当たり前です。早くそんな当たり前の状況にしたいと思っています。
ところで、3.11が誕生日なんですか? 

井上能宏さん:そうなんです、運命的なものを感じています。 

――運命以外の何者でもないですね。
311生の会』という活動もされていますが、これはご自身の誕生日に関係があるんですか? 

井上能宏さん:3.11生まれの人が集まった会です。私は自分の誕生日に歴史的な大震災が起きて、運命的なものを感じ、何をすべきなのかいろいろ考えました。集まってみてわかったのですが、面白いことに、3.11生まれの人はおおまかに2種類いて、運命を感じる人と感じない人がいるんですよね。3.11という日を震災と結び付けて考える人と、結び付けない人です。私は前者だったようです。3.11で起きたことはとても大きな出来事ですが、3.11という日を何とかプラス志向でとらえてポジティブな方向に向かうことができないかと思って『311生の会』をつくったんです。 

――井上さんのfacebookを拝見していたら、「2011.3.11なんとなんと36歳の誕生日に大震災。井上2.0として生まれ変わる」とありました。3.11当事者の私は“歴史的転換点に生きている”と思っていますが、井上さんもかなりの衝撃を受けられたんですね。どういう活動をされていますか? 

井上能宏さん:これも基本的には人と人をつなぐ会です。特に、震災の当事者と非当事者とをつなぐってことかな。偶々ある人が私と同じ3.11生まれで、お互い「えっ!!」なんてことになり、3.11生まれの人はきっと特別な想いを持ってるはずだから、集めてそれを共有してみようかという話になり、友人を辿って探して、最初5人で集まりました。被災地へのバスツアーなどをしていたら、主要な新聞で大きく取り上げていただいたこともあって、今は50人ほどリスト上は参加されています。 

とにかく一人でも多く被災地に行ってもらうことが大切だと思い、ツアーを組んで福島を中心に東北を訪れるという活動などを行っています。1月には福島県いわき市の久ノ浜の方を東京にお呼びして交流会を行いました。今年の3月11日にもツアーします。

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1月に開催した『3.11生の会』主催の会合(前列中央が井上さん。なぜか私もいます) 

―― 一時期、楢葉町の災害対策本部に出向されていましたが、その時のご縁ですか? 

井上能宏さん:いいえ、3.11直後、ボランティアで毎週のようにいわき市の久ノ浜というところに通っていたのが縁です。3.11直後から釜石、陸前高田、南相馬、石巻など、知り合いからのお誘いなどで、いろいろなところにボランティアに行って炊き出しとかガレキ処理などをしていましたが、途中から縁あって、久ノ浜に集中して行くようになっていました。その久ノ浜でいろんな人脈ができたんです。 

震災後、半年くらいして、被災自治体の役場へ行きたいと希望しました。経産省からの出向者として、つまり今度はボランティアでなく仕事で赴任するわけですが、それが偶々、いわき市内にある楢葉町災害対策本部というところでした。久ノ浜に近いところだったので、「これは縁があるな」と思いましたね。

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いわき市久ノ浜『浜風商店街』の皆さんと(前列左から2人目が井上さん) 

――かなり積極的に動かれたんですね。「やむにやまれぬ・・・」という感じだったのでしょうね。 

井上能宏さん:まず、3.11生まれというのが強烈なモティベーションです。一方で、震災当時、私は内閣官房に出向していて、官邸の危機管理センターというところで支援をしていたり、電力需給に関する仕事などに携わっていたのですが、なかなか動かない、というか、動けない組織にもどかしさを感じていました。 

――内閣官房に出向されていた時の記事の中に、3.11直後に書き記した井上さんのメモがありましたが、壮絶な状況がリアルに伝わってきます。 

井上能宏さん:一言でいうと『シン・ゴジラ』の官邸内の様子と似てる状況でした。 

――想像できますね。『シン・ゴジラ』は、いい映画でした。私の感覚でいうと、ゴジラは先ほどお話しした歪の総体であり象徴に思えてきます。 

井上能宏さん:縁あって、『シン・ゴジラ』総監督の庵野秀明さんと直接お話させていただいたことがあるんですが、徹底してニュートラルを目指したとおっしゃっていました。さすがですよね。公務員や官僚を描く映画って、普通、役人を風刺するような場合が多いですが、この映画はそういうところがないですよね。映画の中で「今の指示はどこの省庁に対して言ったものですか?」という一見風刺しているようなセリフがありましたが、あれは風刺ではなく現実あることですし、この映画は、徹底取材に裏付けされたちゃんとした作品になっていると思いました。

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『シン・ゴジラ』の庵野秀明総監督
(ご本人に掲載許諾済) 

――ところで子どもの頃はどういうお子さんでしたか? 

井上能宏さん:小学生の頃から数学者になりたいと思っていました。小3の頃にはPC6601というパソコンを結構使いこなしていて、小学校の卒業文集で「コンピュータプログラマーになる。」と書いていましたとにかく数学が好きで国語が嫌いでした(笑)。中2の頃には既に偏微分方程式を解いたりしていて、全国数学コンクールとかで表彰されて新聞に載ったり、高校では数学オリンピック高校代表になったりしましたが、一次予選で敗退し挫折感を味わいました(笑)。 

――子ども心に想う数学者とは、どういうものですか? 

井上能宏さん:小中学生の頃に公文(くもん)をやっていたら数学だけどんどん進んでいったんですけど、進んでいくと、物理学っぽくなって、電磁気学とか相対論の話が出てくるんですよね。それで数学がわかった気になって、その頃は、『イノウエの定理』をつくりたい!とか漠然と思ってましたね。 

――イノウエとは? 

井上能宏さん:私です(笑)。私の名前を冠した定理『井上の定理』です。 

――なるほど…。 

井上能宏さん:結局その定理はできなかった訳ですが(笑)、その後、どうなっていくかというと、ちょっと深みにはまっていく訳ですね。論理学の延長であったり、量子力学の延長だったりという意味で、記号論とか、認識論とか、存在論とかになっていきます。 

そして大学受験に失敗して浪人してしまいました。浪人の頃から、いわゆる哲学の領域に入っていくんですよね。当時はニーチェとか、ヴィトゲンシュタインとか好きでした。以降は、何でもやってやろうということで日本史、世界史、政治、経済、法律、物理、化学生物、地学、芸術、宗教…。 

同じものを見ていてもいろいろな見方がありますが、そういった見方ができるのは哲学が底辺にあるからだと思うんです。例えばこのカップを見て、理系的には、「材料は何だろう?強度は?」とか、法律的には「所有権は誰にあるんだろう?」とか、経済的には「一個いくらするのだろう?」とか、心理学的には、「ガラスが与える心理的影響は鉄と比べてどうだろう?」とか、さらに哲学的には「今ここにあるけど、本当に存在しているのか?」、「こうやっていろんな見方をしている自分ってなんだっけ?」とか、自由なものの味方や発想ができます。 

それから、大学1年生のときに起きた阪神淡路大震災がきっかけで、インドを放浪していたこともあるんですが、自分では世の中のしくみや人間というものをわかったような気になっていて、宗教家になりたいと思っていた時もあります。今思えば全然わかってないんですが(笑)。とにかく勉強するのが好きでした。そんな若者でしたね(笑)。 

――今の子どもたちを見てどう感じますか? 

井上能宏さん:子どもたちというか若者たちは、ちょっと違う人種だなという感じがします。だからこそ接することが大切で接しないといけないなと思っています。多分私たちが若かった頃も、先輩たちは同じような感覚をもったのではないかと思いますが、やはり“次世代の人たち”という感じで、世代間格差という簡単には越えられない壁があるような気がします。だからこそ接することが大切で接しないといけないなと思っていますし、私は“つなぐ”ことが好きなので、壁があっても絶対に超えていかなければならないと思っています。結局、その壁というのは自分の中につくっている壁なんですよね。 

――私はこのリレーインタビューを始めてから、子どもを強く意識しています。大人は子どものためにいる。子どもの役に立たない人は大人とは言えないとか。アリス・ミラーが言う、「親や大人は子どもに敬意をもって接するべき」とか。そんな話をしてもキョトンとしている大人が多いですが(笑)。 

井上能宏さん:いや、わかりますよ!一人の人格として認めるということですね。 

――そうですね。でもそんなことを考えたこともない親や大人が多いし、理解できる人も少ない気がしますね。これから子どもたちに何を伝えていきたいですか? 

井上能宏さん:私は『ホンモノ』という言葉が好きで、私の生涯のテーマだと思っていますしライフワークでもあります。子どもたちにも自分自身がホンモノになって、あらゆるモノや現象などからホンモノを見分けられる人になってほしいと思っています。ホンモノとは何かを常に考えながら、あらゆる情報からホンモノを見分ける力をつけてもらいたいというか。 

あらゆる発明を特許になるか否かを見分けるという、ある意味、ホンモノとニセモノを見分ける仕事を普段しているので、常に「ホンモノとは何か?」という問いによくぶち当たるんです。単に、これはホンモノ、これはニセモノ、という風に、二元論的にというか、二項対立的に区別するのではなくて、ホンモノとは何かを考える力が必要だと思っています。 

例えば、ここにニセモノの壺があったとしますよね。でもそれが父親の唯一の形見の遺品だったとすると、例えその壺が模倣品のニセモノだったとしても、子どもにとってそれはホンモノとも言えそうです。別の例でいうと、昔は「一所懸命」だったのが、今は誤用が転じて「一生懸命」といっても正解になってますが、それって単に多数決でホンモノかどうか決まるってことですよね、とか。自分をホンモノと信じ込んでいる人が犯罪行為をしてしまう場合もありますが、それって、ホンモノって相対的な概念ってことですよね、とか。 

こうなると、ホンモノかどうかを一つの基準だけでなく、いろんな見方や基準があるという前提で考えないといけないですよね。ホンモノを追求する人が世の中に増えて、そういう人でいっぱいになってほしいと思っています。ホンモノを追求するというのは、例えば食べ物でいうなら、単に、おいしいものを追求するとか、ではなくて、そのおいしいものが、本当にホンモノなのかを追求したり、ホンモノのおいしさって何かを追求したりするってことです。みんなが単においしいものを追求してしまったら世の中おかしくなってしまわないですかね。 

結局、何を信じて生きればいいのか?何を根拠に生きればいいのか?どう生きるべきか?というような問いにもつながっていくと思います。根底には哲学や思想があると思うんです。これらの問いは、答えがあるかどうかはおいといて、今まで先人達がすでにいろいろ考えてきたことですよね。「ホンモノとは何か?」、その問いを自分で考えていかないと、人生は振り回されてしまうことも多いと思います。 

――自分自身がホンモノになるためには、そういう生き方をしなければなりません。私の感覚で言うと、やはり“自分らしく生きる”か“ありのままに生きる”ということに尽きます。 

井上能宏さん:“ありのままに生きる”。そうですね!ただ、ありのままに生きるというのも簡単ではないですよね。ありのままに生きることが他人にとって迷惑になることもあり得ます。私自身ボランティアをやっていても、常に自分に偽りはないか自問自答していますが、そういう場合はどうするかというと、例えばホンモノと思っているこの自分と、そうは思っていないかもしれない他人を「つなぐ」、つまり他人とコミュニケーションをとることで、自分がホンモノかどうかを検証することが必要かなと思います。 

そう繰り返すことで、世の中が“ホンモノだらけ”の人やモノになってほしいんですよね。基本的には、自分がやりたいことをやれるような世の中になれば、“ホンモノだらけ”になると思うんですよ。じゃあどうすればいいかというと…。 

そろそろ、そんな本を書きたいなと思っています。40歳を超えて、人生をまとめだしたのかも知れません(笑)。一つのカタチにしておきたい時期なのかも知れません。 

――これからも是非、井上さんの生き方自体が“ホンモノ”であり続けてください!面白すぎて話は尽きませんが、この続きはご自身の本を読ませていただきます。貴重なお話、ありがとうございました。 

 

『世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ』
シェークスピアの名言らしいですが、井上さんの好きな言葉だそうです。これだけ多岐に渡って勉強され、知識をもち、思慮深い井上さんが、幸福について考えるとこうなるんですね。やはり真髄を突いています。 

先日、20人ほどが参加したセミナーで、「幸福を求めていない人?」という問いにを挙げたのは私一人でした。理由を聞かれ、私が「求めているうちは幸福感を味わうことはできないんじゃないですか」と答えたら、皆さんキョトンとしていました。「求めているということは、満たされない想いがあるということなので」、と続けましたがやはり理解された様子ではありませんでした(笑)。 

幸福という感覚はもたらされるもの。
幸福だと思える心の状態でなければ、幸福感を受け取ることはできません。 

インタビューの後に、私は『この世界の片隅に』を観ました。ありきたりの生活に幸福を感じていた人びとが、戦争という不合理で理不尽で得体のしれないものに呑み込まれていく。絶望の中にいながら、それでも日常を生きている。 

“すべてここにある”、ということなのでしょう。 

様々な観点から、井上さんは私たちに“生きるうえで真に大切なメッセージ”を伝えてくれる人でした。 

■井上能宏さんのプロフィール

プロフィール井上 能宏(いのうえ よしひろ) 1975.03.11 名古屋生まれ。 1997 大阪大学卒業(化学工学専攻) 2001 京都大学大学院卒業(応用生命科学専攻) 2001 特許庁入庁  2009 内閣官房副長官補室 2011 福島県楢葉町災害対策本部 2017現在 特許庁審判官

なお、ここに示す内容は、個人の見解であり、所属する組織の見解ではありません。

 

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