ライト・マイ・ファイヤー(ハートに灯をつけて)

21年前に書いた物を、そのまま載せます。

ライト・マイ・ファイヤー(ハートに灯をつけて)

【食】
コロッケにマカロニサラダ、それにキャベツの千切りとご飯にみそ汁。そして梅干し。これがその時のメニュー。

【時】
その時とは朝。2月14日の朝。バレンタインデーだがその時は気がつかなく、午後になってそれとわかることになる。
そう、その時。1995年2月14日、午前7時40分頃。みんなと食べた朝ご飯。正確にいうと昨夜の残りのおかずだけど、すごくうまかった。青木君なんか三杯もおかわりをした。みんなもかなりの食欲だ。

【人】
みんなといってもすべてを覚えていない。何しろ、20数人はいたと思う。すうっと名前が浮かぶのが巨体のおかわり小僧、青木君。そして和田さん、浜ちゃん、鈴木さんにラッパさん。それにYさんにシスター是枝。もちろん神田神父とパウロ神父。とにかくこの20数人が、わずか30分ほどの間に食べ始め食べ終えるのだから、けたたましいかといえば実に整然としている。食堂は小さいのだ。だから青木君たちは丸太にすわって食べている。浜ちゃんはみんなのおかわりで、離れの炊事場と食堂を行ったり来たりだ。その合間に食べる。言葉は飛びかっているけど騒がしくない。「おかわり」「ごちそうさーん」「そこのソースとって」「6人で2班にしとこ」「タンスはもらうゆうてた」「コーヒー飲むヒトー?」「ハーイ(私の声も加わっている)」活気があるけど乱れていない。もう手順はわかっているといった光景。いや、風景といえるくらいだ。そういえばあと3日で1ヶ月が経とうとしている。みんな慣れているのだ。私はここへ来て2日目。

【所】
ここは神戸市長田区海運町3-3-8、カトリック鷹取教会。いや、教会の跡地というのが正しいだろう。礼拝堂も焼けた。司祭館は半分くずれかかり、その屋根はブルーシートでおおわれている。敷地内に建っていたという和田夫妻の家も、今はない。あるのは炊事場や食堂のためのテントだ。
JR鷹取駅は神戸駅から下りで3つ目の駅で、そこから歩いて3分の所にこの教会はある。そこに私はいる。東京から7時間半かけて、ようやくここにいる。新幹線、在来線、バス、そしてまたバス、再び在来線に乗り継ぎ、歩き、たどり着いたこの場所。場所とは不可解なものだ。何事もなければ、4時間たらずで着くのに。神戸が遠のいたわけではない。なぜなら私は地震がなければ、ここにいないのだから。カトリックの信者でもない私がここにいるのは、神戸が動いたからだ。大きく動いたからだ。4時間では遠くて、7時間半では近い場所。神戸。

【動】
そして今、人が動き始めた。腹ごしらえを終えた8時30分。まず朝礼。急ごしらえの2つのカマド、そしてドラム缶を改造した焼却炉のまわりに、みんなはきれいに円を描いて集まった。
そこで和田さんの声。
「おはようございます」
少し破れたバリトンの声は、彼のサングラスのせいかドスを効かせてよく通る。みんなも挨拶を交わす。
「6人ずつの2班で回ってください。古い軍手は新しいのに取り換えて。使った道具は必ず元の場所へしまうこと。家屋の取り壊しは、くれぐれもケガのないように」
和田さんの声は続いた。
みんなよく動いた。そして、よく食べた。青木君は、まだ使えるタンスをもらいに行き、ラッパさんは倒壊家屋の廃材を軽トラックで運んできた。鈴木さんはチェーンソーでその廃材を薪用に切った。シスター是枝は「自転車に乗れないのは有利よッ!」と自転車も通れないガレキの道の、類焼をまぬがれた半壊の家から具合の悪いお年寄りを連れてきた。私はその人にテルミーをかけた。神田神父は「教会の復興は一番最後。街が先や」と被災者の苦情を聞いてまわった。昼は、おでん。夜は、カレーライス。同じものを食べて、みな違う動きをした。カルシウムがどうとか緑黄色野菜がどうとか、ミネラルだ、バランスだとか言ってられない。全国からの救援物資を調理して、とにかく食べた。

1995年1月16日の夕食。阪神の人たちは違ったメニューを食べたはずだ。そしてその次の日の明け方、17日午前5時46分に同じ災害を受け、同じように逃げた。そう思うとめまいを感じた。
「緑色に燃えてますね」
Yさんの言葉に、私は我に返った。あたりは、もう真っ暗。カマドの火がはぜた。
「ほんとだ。緑色に燃えている」

このあと私は、神のスマイルを見ることになる。

→次回へ続く→

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