小澤綾子さんへのリレーインタビュー

『ふじもん先生の旅プロジェクト』代表の藤本正樹さんからのリレーインタビューは、筋ジストロフィーという進行性の難病と闘い歌う、シンガーの小澤綾子さんです。
小澤綾子さんは日本IBMでSEとして仕事をしながら、筋ジストロフィー、難病、障がいの認知、そして今を生きることを伝えるため、講演ライブや執筆活動をされています。

長い間、小澤さんは葛藤の中で生きて来られたと思います。
「生きている意味がない」と思い込んでいたと言います。

今、小澤さんは、すべてを受け入れ今を生きています。
「すべてを受け入れるしかなく、今を生きるしかない」そう思って生きておられます。

しかし小澤さんとお話ししていると、本来それはすべての人に共通する生き方だということに気づかされます。

とても楽しく笑いながらお話しし、あっという間のインタビューでしたが、小澤さんの言葉の一つひとつに「本来、私たちはどうあるべきなのか」という、根源的な問いが脈絡と流れているように感じました。(聞き手:昆野)

 

――小さい頃から歌はお好きでしたか?

小澤綾子さん:そうですね。小さい頃から鼻歌を歌ったり、親戚が集まるとカラオケ大会が始まり、私はずっとマイクを話さず歌い続けていました(笑)。

――鼻歌?私も小学生の頃は授業中も歌っていて、周囲が笑い、知らないのは先生だけといった光景がよくありました。(二人大笑)。

小澤綾子さん:気持ちわかります!私も授業中以外は歌っていました(笑)。

――今はどういう所で歌われているんですか?

小澤綾子さん:保育園や学校、通信制高校の公開授業や夢授業とか、学校にいけない子が集まる場など様々で、先日の青森では自殺防止のイベントで歌わせてもらいました。

歌を歌い始めてから、人生が変わりましたね。

 

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老人ホームでコンサート!

――何か歌うきっかけがあったんですか?

小澤綾子さん:私、病気がわかったのが20歳の時だったんですよ。小さい頃から症状がでていたんですが、どこの病院に行ってもわからなくて「病気じゃないよ、個人差だ」って言われていました。走るのもやっとだったし、自分では絶対重い病気だと思っていました。

いろんな思いがありましたけど、何のために生きているのかよくわからなくなってしまいました。
20歳の時に「あなたは進行性の難病で、あと10年したら車いす、その先は寝たきりになる」と言われましたが受け入れられなくて。
その後ずっと、生きている意味がないという思いが強くなっていきました。

でも、生きようと思えるきっかけが徐々にでてきて、「昔、歌うのが好きだったよなあ、歌を始めたらまた何か見つかるかも知れないなあ」と思い、会社の仲間とバンドを組んで歌うようになったんです。

またネット上には同じような病気の方がいっぱいいるので、ネット上で自由に話せて情報交換できる場をつくったんです。そういう場で、私と同じように数万人に1人という病気の人たちとつながって行く中で、子どもの頃から30年以上も病院のベッドで寝たきりの栄次さんと知り合いました。
その時、栄次さんが自分で動かせるのは指先だけでした。
でも私がメールをするとすぐに返信がくるし、すごく意気揚々としていて、やりたいことがいっぱいあり過ぎて時間が足りないって言うんです。私はとても衝撃を受けました。

その頃の私は「見たくない未来」を思い、ずっと下ばかり向いていて、私なんて何もできないと思っていました。それに対し30年以上も寝たきりで指先しか動かすことのできない栄次さんが、私に「生きる意味や、私でもできることがある」ということを教えてくれたんです。

そして栄次さんは、ご自身がつくった歌を私に歌ってほしいと言ってくれました。同じ病気をもつあなたに歌ってほしい。そして障がいをもっている人たちにもっともっと元気になってほしいと。
それが、すごく嬉しかったんです!

生きている意味がないと思っていた私に、病気の私だからこそできることがある。
「救われた」、私は心からそう思いました。

私は栄次さんの歌を歌い、一緒に活動していくことを栄次さんと約束しました。そして、多くの人に栄次さんの歌を聴いていただこうと歌い始めました。

ところがその2か月後、突然、栄次さんは亡くなりました。

「やっぱり死ぬんだ、やっぱりこの病気って死ぬんだ」。
そう私は思ってしまいました。
あんなに元気そうに意気揚々と希望を持ち続けて生きていた人が、突然あっという間に亡くなってしまった。私に希望を与えてくれた人が亡くなった悲しみと、すごい生命力を感じた人でも結局はこの同じ病気で死ぬんだという空しさとが何度となく押し寄せてきました。

でもそんな中にも、以前とは違う決意のようなものが私の心の中に芽生えているのを感じていました。それは、栄次さんがやりたかったことをやれるのは同じ病気をもつ私しかいないという、はっきりとした意識でした。
栄次さんが残してくれた歌がある。やりたいと言っていたことがある。それを生きている私が実現しないで、誰がやるんだ。

実は、私は栄次さんに一度もお会いしたことがないんです。

――会ったことがない?そうだったんですか。
不思議ですね。
「自分にしかできないことがある」と思えたことが、会ったこともない人のため、障がいをもつ多くの方々に元気になってもらうためだったんですね。
自分のことを考えると生きている意味すらわからなくなるけど、自分以外の人たちのことを思う時、自分にしかできないことや生きる意味がみえてくる。私たちが小さい頃から、競争し比較されながら教えられてきたこととは違うところに生きることの大切さがあると感じます。面白いものですね。
栄次さんとの出会いは、運命的なものを感じますね。

 

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亡き友人の作った『嬉し涙が止まらない』を熱唱

 

 

小澤綾子さん:それからですね。栄次さんとの約束をどんどんやっていったら、あっという間にいろいろな方々から歌ってほしいと要請があり、全国に広がっていきました。昨年はコンサートやCDを制作して活動したので、その報告のため長崎の佐世保にある栄次さんのお墓参りをさせてもらいました。

 

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初めて作ったCDのジャケット。旦那さんの撮影です

 

――栄次さんの親御さんとはお会いになりましたか?

小澤綾子さん:すでに亡くなっていて、弟さんと連絡を取って伺いました。弟さんも栄次さんとはあまり会ったことがなかったようで、30年以上も病院で隔離されたような状態で過ごしていたようです。

――そうでしたか。先日の相模原の知的障がい者施設の事件では、亡くなった方の実名は公表されていませんが、それは親御さんのご意向のようですね。

小澤綾子さん:そうですね。あの事件の裏には多くの社会問題が隠されていると思います。今まで知り得なかったことが明るみになってきて、もっともっと解決しなければならないことがいっぱいあるんだなって思っています。

私は当事者として、何のために生きているのか生きることに意味があるのかずっと考えて生きてきましたが、今回の事件で「他人にまで否定されてしまうんだ」と思ったし、やっぱり複雑ですね。
親も、障がいをもった子は「隠したい存在なのかなあ」と思ってしまいます。
障がいをもった多くの人を山奥に集めて、ケアする人は少ない。人として本当にそれでいいのかなあ。
「みんな自分がそうなったらどう思うんだろう」、考えなくちゃいけないなって思いますね。

――相手の立場になってみたり、自分に置き換えて考えてみることが少な過ぎますよね。
みんなと同じように生活できていれば安心で、生きるうえで本当に大切なことを深いところで考え向き合う機会が少なすぎます。もしかして肝心なことに気づくのは、何かを失った時なのか。失ったものが大きければ大きいほどとても大切なことに気づき、忘れている何かを想い出すのかも知れません。
それはなぜなのか。
特にハンディのない人たちは恵まれ過ぎていて、今生きていること自体の”ありがたみ”をあまり感じられないからでしょうね。

小澤綾子さん:普通に生きていて、明日は当り前のようにくると思っていますが、明日ってみんなに絶対来るとは限らないし、明日何が起こるかわからない。私も病気になっていなければ、そんなことすら考えずに“のほほん”と生きていると思います(笑)。

――ところでどんなお子さんでした?

小澤綾子さん:自然いっぱいの田舎で育ったので、外で走り回って遊ぶのが大好きな子でした。生き物が好きで、よく男の子に混じって魚やカブトムシを捕まえに行ったりしていましたね。やんちゃでした!(笑)

――ご家族は、どのように接してこられましたか?

小澤綾子さん:本当に私を支えてくれた存在です。
病気がわからなかった時も病気がわかってからも、ずっと傍で支えてくれました。私はなかなかその大切さに気づけず、自分だけが一番辛い、私だけ不幸だとずっと思っていましたが、ドキュメンタリーを制作していただいた時に両親のインタビューがあり、それを観て初めて両親の気持ちを知ることができました。

母は、私の病気がわかってからずっと泣いていたようです。でもどんな病気であっても、きっと私は乗り越えられると信じていたと言っていました。私の前では決して泣いている姿を見せなかったけど、やはり両親も辛かったんだなあと思いました。
それに気づけなかった自分に腹が立ったり、両親のあったかい愛情に支えられてきたことに感謝して「お父さんお母さん、ごめんね」って、とても複雑な気持ちでしたね。

――2年程前に結婚されたそうですね?

小澤綾子さん:そうです。

――家事はどうされているんですか?

小澤綾子さん:私はごはん係で、主人がその他です(笑)。その他の方が役割が多いので、よく文句を言われています(あっはっは)。

――ご両親は結婚を嬉しいとは思いつつ、心配されていたかも知れませんね。

小澤綾子さん:私が主人のご両親と初めてお会いする時に、私の両親はすごく心配していました。両親とは「お会いした後にどうなるかわからないけど、どうなってもそれを受け入れようね」って話をしました。

――ご両親と会われてどうでしたか?

小澤綾子さん:ご両親はごく普通にお話しし、ごく普通に接してくださいました。

――素晴らしいご両親ですね!

小澤綾子さん:そうなんです。だから私、帰る時に自分から「本当にすみません、何もできないしごめんなさい」って、思わず謝ってしまったんです。
するとご両親は「こんな息子と結婚してくれてありがとう!こんな子で本当にいいの?」みたいな感じで言われちゃって(大笑)。

――すごい、そりゃすごいですね!

小澤綾子さん:「夫婦になるってことはお互い助け合うってことなんだから、そんなできないことがあるのはみんな一緒なんだから、そんなこと気にしなくていいんだよ。支え合うのが夫婦なんだから」みたいな感じで言われ、すっごく嬉しかったです。

今でも、その言葉を想い出すと泣きそうになっちゃいます。
本当に救われましたね。「私でもいいんだ!」って。

ご両親にとって息子である主人はとても大切な存在だと思うんです。逆に私にそういう息子がいたら、できれば何の病気もない人と結婚してほしいと素直に思いますね。

――みなさん本当にすごい、素晴らしい。
人間ってわからないですからね、その時その当事者になってみないと。こういう時はこうあるべきだとか、自分は正義感をもって立ち向かえると思っていても、その時そうなってみないとわからない。
だから、みなさん素晴らしい!
ご両親は、単なる気遣いとか思いやりではなく、心の底からそう思っておられると思うんですよ。だからこそ小澤さんは、素直にご両親の言葉を受け入れることができ、素直に嬉しいと感じ、救われたと思えたのでしょう。
そういう方々と出会えて、よかったですね!私も嬉しくなっちゃいます(笑)。

小澤綾子さん:とてもいい方々とめぐり会い、新しい家族ができて本当によかったです。

(本来、人間ってこうなんですよね、幸せってこういうことですよね。今日初めてお会いした小澤さんのお話しをお聞きしていて、私までが幸せな気持ちになってくるんです。)

 

00984_ANVD1029結婚式で友人の作った『嬉し涙が止まらない』を歌いました


――小澤さんは『誰もが生きやすい世の中にしたい。誰もが夢をもって生きられる世の中にしたい』と発信されています。今の社会をどのように感じていますか?

小澤綾子さん:私は障がいをもち病気をもってしまってから、人生終わったなと思ってしまいました。
裏返すと、それまで私自身が障がいをもった方や病気をもった方に対する理解がなかったということだと思うんです。

私が生きてきた中にそういう人がいなかったし、見たことがありませんでした。もっともっと世の中にはいろんな人がいるはずなのに全然会ったことがなかったので、世の中にそういう人がいることを多くの人に知ってほしいし、障がいや病気をもっている方々にもどんどんいろんな場に出てきてほしいんです。

自分が当事者になってみて、今の社会は生きづらい面がいっぱいあります。
例えば就職する時もそうでした。いろんな会社を受けましたけど、「あなたの病気だとちょっと採れないよね」と言われたこともあります。また街の中を移動する時でも、ハード面ソフト面どちらも厳しいなって思うことがよくありますね。

――子どもたちには、何を伝えていきたいですか?

小澤綾子さん:私は私と同じような立場の子どもたちが次の世代にいたら、私と同じように「生きている意味がないとか、何をしたらいいのかわからないとか、生きていて辛いとか」、そういう思いをしてほしくないんです。
ですから次の子どもたちが私と同じような思いをしないように、ハンディキャップをもっている方々も普通の人たちと同じように活躍できるようにしたいと思っています。

世の中違う人がいて当り前で、その違いがもしかしたら障がいだったり、もしかしたら病気かも知れない。「それが普通のことなんだよ」と伝えていきたいし、みんなの意識がそういうふうに変わるといいなと思います。
障がいのない子どもたちにも、そういう環境を体験してもらって、そういう意識が社会的に広がるといいなあ。

実は私、海外が好きで海外旅行とかよく行くんですが、海外に行くと何がいいかというと誰も私のことをジロジロ見ないんです。日本にいるとすごいジロジロ見られます。みんな何かしたいけど、どう接していいかわからないしという目で見る人もいれば、変な目で見る人もいるし、何だ?という目で見る人もいていろんな人がいます。
海外に行くとそういう感覚が全然なくて、みんな一人ひとりが違っていて当り前という感覚が身体に染みついています。とても居心地がいいんです。

違っている人がいてあたり前という意識を、大きな意味で広げたいなあって思いますね。

――なるほど、日本人ってそうかも知れないですね。

小澤綾子さん:日本人は他の人と同じだと安心しますよね。私も小さい頃そうでしたし。
でも何が悲しかったかと言えば、手足が動かなくなるのが怖いということは当然ありましたが、みんなはあれができるけど、私にはできない。人と違うということでした。

そういう世の中の感覚を無くしていきたい。
「違っていて何が悪いの?違っているからいい」。

寧ろ違いを活かすことで、『人としてどう輝けるか』ということを子どもたちに伝えていきたいですね。

――3.11直後にテレビCMがなくなって、ACジャパンがいくつかのメッセージを流し続けていました。みなさんの記憶に残っているのは”ポンポン・ポポーン”かも知れませんが(笑)、金子みすゞの「みんな違ってみんないい」も何度も何度も流れていました。
「みんな違ってみんないい」は、3.11で亡くなった兄が生前私に教えてくれたものだったので、テレビで流れるメッセージはとても印象的で記憶に刷り込まれました。

人は、比べることで安心したいのでしょう。自分よりも上がいるけど下もいるなと。
心が休まることのない人たちが多いこの社会では、結局、不安の解消のために考え行動していることがとても多いです。そういう状況では、すぐにわかり合うとか認め合うことは難しい。
自分の不安の解消が優先される訳ですから。

小澤綾子さん:障がいの問題だけではなく日本に来る海外の人も増えてきているので、世界で一緒にやっていく上でも、日本もそういうことを受け入れられるようにする必要があると思います。

――わかり合うとか認め合うというのは、簡単にできる相手もいるし難しい相手もいます。
まずは違いや多様性を認めること。それは自分がやればできることだから。その先にわかり合い、認め合える状況が生まれてくると思います。 「違いを認め、比べることを止める」ことで、個々人や社会との関係性が変わっていくと思います。

小澤綾子さん:第一歩ですね。その一歩を抜きにして飛躍してしまい、上手くいかないケースが多いと思いますね(笑)。

――上手くいかないと感情的になったりいがみ合ったりして、真逆のことが起こり始めます(笑)。
さて今後、どういう活動をして行きたいですか?

小澤綾子さん:今活動していることを展開していくことと、全国の病院を回って歌おうと思っています。
やっぱり私は30年以上もベッドにいた人に救ってもらったので、病院にいる方々にも元気になってほしいなあという思いが強くあって、今後は私が夢を届ける番だと思っています。

みんなどこにいても、どんな状態でも役割があるということを、全国を回って伝えたいですね。

――いいですね!
私は25年以上”余生”を生き(笑)3.11を経験しましたが、
「自分に何ができるのか」を突詰めようとするよりも、いろいろな関係性の中で生きていると思えた時、自ずと役割も見えてきたような気がします。
だから今は、「私に何が起きるんだろう?」という感覚で生きています。バリバリ仕事をしていた頃とは180度違った生き方をしている感じです(笑)。

小澤綾子さん:その方が楽しく生きて行けますよね。
私も同じような感覚があって、本当に何が起こるかわからないし、みんなが同じように生きるのは無理だと思っていて、いろんなことが起きるのが人生だなって思っています。

だから何が起きても結構楽しめちゃうんですよ。

大変なことも受け入れるしかないんですよね。本当にそう思います。

――やはり受け入れるということですね。

小澤綾子さん:そこからですよね!

――やあ、今日は生き方を根本から考えさせられるお話しでした。本当にありがとうございました。では、この話しの続きは日を改めてやりましょう!

小澤綾子さん:いいですね、ぜひ!(あっはっは)

 

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障がいがある人もない人も一緒に楽しむイベント『チャレンジドフェスティバル』にて。
ドラムは旦那さんです

 

小澤さんと2時間程お話ししている中で感じ始めたことは、『人間の尊厳』ということでした。

何度となく「生きる意味などない」という思いを抱きながらも、「現実を受け入れ、伝えていくことがある」と活動されている心の奥底にあるものは、すべての人が共通にもつ『人間の尊厳』を認め合える社会にして行きたいという強い意志なのでしょう。

どんな人にも同じように『尊厳』がある。
だから、みんなそのままでいいし、違っていて当り前。
そして、きっと自分の役割がわかる時が来る。
小澤さんは、ご自身の実体験を通してそう伝えています。

他を認めることで、「すべてを受け入れる」ことができる。
自分らしくあることで、「今を生きる」ことができる。
また一つ、私の中で大切なものがつながり始めました。

「遠い遠い昔、人間が初めて“美しい”と感じたのは、花を見た時ではなかったか」という話を聞いたことがあります。
花はいつも、ただそこに咲いているだけです。

小澤綾子さんは本来人間がもつ豊かな感性を、私たち一人ひとりに想い起させてくれる“大切な人”でした。

 

■小澤綾子さんのプロフィール

received_10206608099102483千葉県君津市生まれ。海や自然が大好きな子として育つ。
小学校の頃からだんだん走るのが遅くなり歩き方がおかしくなり、周りと違っていく自分に気づく。病院を転々とするも原因はわからなかったが、20歳のときに診断がつく。 進行性の難病筋ジストロフィーだった。 10年後には車椅子、その先は寝たきりと医師から告げられ、人生のどん底に落ちる。
しかし、死ぬのは怖く、生きるしかない。元気でいられる時間が限られているなら、今を全力で楽しく生きていこうと決めた。
「筋ジスと闘い歌う」と掲げ、現在はイベント、学校、病院、老人ホームなどで講演ライブを行い、病気・障害の認知活動を行っている。活動はテレビや新聞などメディアでも多く取り上げられている。東京コレクションのモデルや、ドリームプランプレゼンテーション世界大会感動大賞など活躍の幅を広げている。

 

 

 

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