佐谷恭さんへのリレーインタビュー

店舗開発プロデューサーの田上百合子(たのうえゆりこ)さんからのリレーインタビューは、株式会社 旅と平和 代表の佐谷恭(さたにきょう)さんです。会社を3つ経た後、20代後半に英国に留学し平和学を学び、「旅人こそが創れる平和がある」と考え実践されている方です。

世界中の誰もが知っている『平和』、人類が願い続けている『平和』。
しかし世界中の多くの人たちは、漠然とした想いとして『平和』を語りイメージはするが、日常の生活で実践している人は少なく、ましてや事業を通して平和を実践するという人はとても珍しいといえるでしょう。今回私にとっても貴重な体験になりました。

旅と平和。
11時からのインタビューを前に、その言葉だけで想いに耽ってしまいそうな私は、もはやインタビューそっちのけで旅の話に耳を傾けていたいという気分で、小田急線経堂駅近くにあるPAX Coworkingに向かいました。

ドアを開け目の前の方が佐谷さんとすぐわかり、「隣のガールズバーのビルと間違うところでした」と、私は遠慮なくシェアオフィスの中に入りました。そして名刺交換をした直後から、危うくまた録音を忘れるほどテンポよく話は流れていきました。(聞き手:昆野)

 

――旅を続けるきっかけは何でしたか?

佐谷 恭さん:学生の頃にアジア20カ国を旅していろいろと楽しい経験をしたので、ずっと旅を続けたいと思いました。日本では旅は単なる遊びだと思っている人が多いので、何かの機会に止めてしまう人が多いですよね。例えば学生は就職を機に、次に結婚を機に、それでも止めなかった人は子どもができたから止めるなど。なぜか日本人は「止める」んですよ、人生の大きな出来事の中でほとんどの人が。旅だけに限らず「好きなことを人生の節目に止める」。

私が出会った欧州の旅人は逆でした。学生時代はおカネがないから旅ができなかったが、仕事をし始めてから休みを取って旅を始めた人、パートナーができたから旅を始めた人、自分はあまり旅をしなかったが子どもには世界を見せたいと思い旅を始めた人などです。全く逆の現象が起こっていて興味深いなと思っていました。

私自身は「楽しいから旅を続けたい」と思っています。旅での体験をヒントに日々の生活を組み立ててきました。ですので、なぜ日本人と欧州の人とは発想が逆なのだろうとずっと思ってきました。結局私は、大学4年間のうち1年間ぐらい海外にいましたね。

――何か強烈なインパクトでも?

佐谷 恭さん:大学3年の時にイランに行ったことですね。
訪問前にイランというとネガティブな情報しかありませんでしたが、その情報をもたらしてくれる人は実際に行ったわけではありませんでした。一人だけ渡航歴のある旅人がいて「イランはすごくいい国だ」と力説していたのです。ほかの人はただ笑っていましたが、僕は「どういう意味なんだろう」と深く考えました。そして、自分で確かめたいと思いました。

イランはいわゆる「テロ支援国家」に指定されており、馬鹿みたいな話ですが、そこにいる人々が「テロリスト」だと思い込んでいる人がいます。また、僕より同世代以上の人ならよく知っていると思いますが、「イラン人=上野公園で偽造テレホンカードを売っている」というイメージがありました。私自身も偏見を持っており少し怖いなと正直思っていましたが、行ってみたら自分が持っていた情報と実際に起こっていることが全然違っていました。

当時(1996年)のイランは、自分が調べた限りではありますが、ツーリストビザ(観光査証)が発給されていない状態でした。僕は旅人のネットワークからインド・ニューデリーのイラン大使館でトランジットビザ(通過査証)なら取得できると聞き、さまざまな手続きを経て取得しました。5日有効のトランジットビザでとにかく入国できることになりました。本当に恐ろしい国だったら、すぐに逃げようと思っていました(笑)。

イランに入った瞬間から驚きの連続でした。パキスタンのクエッタから国境の町までは、当時「世界3大地獄バス」と言われるひどい悪路の路線で、砂漠の砂に埋まったトラックを何台もみるような道でした。僕たちのバスも砂に見事にハマり込み、乗客全員でバスを押すという体験もしました。それが、国境を超えてイラン側に入った瞬間に道路は完全にフラットになりました。まるで新東名高速のようでした。人は「テロリスト」どころかとても親切で、食事もおいしい。広大な景色は美しく、歴史で学んだペルシャの遺跡がそこかしこにありましたし、各地のモスクもタイルがとてもきれい。

僕のイランに対するイメージは完全にくつがえされました。他人の2次情報3次情報は当てにならないということがわかったし旅をして本当によかったと思いました。それで旅をいつまでも続けたいと思い、その良さをたくさんの人に伝えたいと思ったんです。イランに行ってなければ自分も普通の学生同様に、ああ楽しかったで終わり就職を機に旅を止めていたかも知れませんね。

佐谷恭さん旅の写真

旅の途中(一番右が佐谷さん)

――旅が人生の原点のように感じますが、どのような環境で育ったんですか?

佐谷 恭さん:小さい頃は、家でホームステイを受け入れていたんです。頻繁に外国人が来るので、何でうちにばかり来るのかなと思っていましたが、結局母がそうした交流が好きだったんですね。家族で秦野市と小田原市の国際交流協会に入って、幼い頃は年に1~2回1週間程受け入れてました。その頃は外人が来るたびに、言葉がわからないし、おまけに大事なチョロQを取られるので、迷惑だなと思っていました(笑)。
その後母が近所にある東海大学の留学生会館にパートで働き始めてから、そこに集まる外人学生を家に招いてご飯を振る舞っていました。

――ホントに好きなんですね、お母さま。

佐谷 恭さん:すると、今日は私が作ったから次回はあなたが作りなさいと(笑)。自然に僕はいろんな国の料理を食べることができたので、ポジティブで楽しかったですね。外国への興味も高まっていきました。外国といえばアメリカでしかなかったその頃に、僕の外国のイメージは多様性に富んでいました。

親戚の叔父さんなどは、学生紛争の時に日本を離れ、欧州で皿洗いしておカネを稼いでアジアを横断したと話してくれました。その影響もあり、私の周りは兄弟、親戚みんな大学生になると旅をしていたので、私もそれが自然の流れでした。

――よく就職できましたね?

佐谷 恭さん:そうなんですよ。まず職業意識がほとんどなくて、大学卒業した時点で仕事なんてしたくないなと思っていましたから。ただ縁あって会社に入ってみたら、結構面白いなと思いました。

相当ひどい学生だったんで、面接で「卒業したら就職しか選択肢がないのはおかしいと思っているぐらいで、第一志望の理由なんてありません」と言ったんです。面接官は絶句。しかし、時間も余っているので質問してくれて、旅の話をしたら逆に関心をもたれたようで。最初入社した富士通の人事部は相当変わった人が多かったんです。変人を受け入れてくれました。そして、結局人事部に配属になりました(笑)。

――なかなかでしたね、富士通も。

佐谷 恭さん:そこで私もやるからには、とことんやろうと思いましたね。ですから社内で「これやってみたい人?」といわれたら、すべてに自分から手を挙げてやってみました。その甲斐あり、早くも2年目に、関西地区の採用責任者をやらせてくれました。各地の会社説明会でもたくさん演説させてもらいましたが、他社が「うちが若手が活躍してます」とおじさんたちが言う中、「僕は1年ちょっと前大学生だった!」というだけで説得力ありました。学生の就活コミュニティ「みんなの就職活動日記」に書かれないようにという指示がありましたが、僕は物議を醸すようなことを学生たちに吹き込んでいきました(笑)。僕より上の人はみんな東京にいたので、すべて事後報告で仕事を進めさせてもらいました。

ですからすごく面白いことが入社直後からできた反面、会社員だからやらなければならないすごくつまらないこともあり、それが波のように繰り返していきました。その波のスパンが次第に短くなってきたとき、ようやくキャリアについて考え始めました。

――起業のきっかけは?

佐谷 恭さん:気分転換に転職活動をしてみたとき、紹介されたのがサイバーエージェントでした。創業者の藤田さんは僕の1つ歳上で起業していた。それまで会社をつくろうなどと微塵も考えたこともなかったが、「会社って自分でつくれるんだ、つくってみようかな」と思ったんです。単なるミーハーです(笑)!

何をするかも決めていないし社会的意識も高くなかったけど、それでも会社をつくってみようかなと。くすぶっていたくなかったんでしょうね。思い返せば大学時代にサークルを4つ立ち上げているので、創るのは好きだったのかもしれません。またその年の夏に生まれて初めて富士山に登って頂上から関東平野を見た時、自分がいつもやってることはここからは見えるようで見えない小さなことだなと思えたんです。上から眺望する視点の大切さを実感し、そういう視点を持ち続けたいと思いました。

――その後、すぐに起業された訳ではないですね?

佐谷 恭さん:その後友達がつくった会社を手伝いました。それも偶々なんですが、「会社をつくるってどういうことなんだろう」と思い、学生時代に自分たちで学生ベンチャーをつくって自分たちで仕事を取ってやっている友達を想い出し電話をしてみたんです。そしたらちょうどリサイクルワン(現レノバ)という会社を起業して2ヶ月というタイミングでした。会社を尋ねてみたら開口一番「人事部だったら人を紹介してよ」と。要件は、「優秀で仕事ができて、給料がいらないやつ」を探していると(笑)。そんなやついないよ!と言いながら、数か月間だったらオレがやってもいいよというと「じゃやってよ!」で決まり(笑)。

リサイクルワンは環境コンサルを主軸に産業廃棄物のクリーンな市場をつくることを目標に起業していました。営業部隊を立ち上げて欲しいというので、あらゆる方法を駆使して400社ほどの産廃企業に飛び込み営業しました。

――当時の産廃に飛び込みですか…、命がけでしたね。

佐谷 恭さん:そうですね、危なそうに見える会社が多かったと思います。初めのうちは営業らしくスーツを着て現場に行きました。説明できたときは「おもしろいけど、よくわからん」といわれ、場合によっては邪魔だと怒鳴りつけられました。これじゃ成果出せないなと思い、とにかく経営者と話ができるようにしなきゃと思いました。スーツをやめて、仕事の話も一切止めてそういう会社と関わりの深い中国や韓国での旅や仕事でのトラブル話などをしていたら、「お宅おもしろいね、今晩飲みに行こう」と誘われるようになりました。

一緒に行くとすべてごちそうしてくれるんですが、人によっては一晩で十数万円ほど使う人もいて、「このおカネで契約してくれたら…」と思いながら、店を出る時に相手から「さっきのいくらだっけ?」と聞いてくれるようになりました。結局「せっかくだから契約するよ」という流れが起きて来ました。

――その後2003年に留学し、翌年帰国してライブドアで仕事をされていますが、『平和学』とライブドア、株式会社旅と平和、paxi houseは、どのように関連がありどのように繋がっているのか興味があります。

佐谷 恭さん:『旅人の視点で世界をみたい』という志望動機を書いて英国のブラッドフォード大学院の平和学部に入りました。40か国ぐらいの学生がいたのですが、その1割が日本人で、その数に驚きました。世界中で誰かのために生きたいと願う友人たちと毎日刺激的な議論をしていましたが、時間が経つにつれて彼らが進むアタリマエの道に進むことに疑問を感じ始めました。天邪鬼なものですから(笑)。

そうした素晴らしい思いを持つ一員になるよりも、全くそんなことを思わない多数派の人たちの心をたとえ1mmでも動かすことの方が重要で、それにより世界を動かせるのではと思いました。

そして、その前から漠然と考えていた「旅人が平和を創る」ということの、具体例を積んでいきたいと思うようになりました。大学院では週1回ゲストによる講義があり、国連や国際NGOの職員などが来て話をしてくれました。一つひとつの話は素晴らしかったのですが、結局国連が70年程活動していても世界は総体としてよくなっていないと思うに至りました。平和を創る組織の人たちの離婚率が世界最高だというのもおかしいなと。また、国家は所詮それぞれの利益を確保するために動く集団であり、地球全体を考えることは難しいか不可能かもしれないと、歴史が証明しているとも考えました。
例えばイランには知人がいて爆弾を落とさないでほしいと単純に思う。今はネットで繋がれば個人でもいろんなことができるし、小さい動きが積み重さなれば世の中変わっていくということを論文に書いたんです。

そして paxi houseやcoworkingとかそれ以外のいろんな活動を通して、私が書いた論文『旅と平和』がこのように実現しているでしょと見せていきたいんです。paxi houseは旅先のゲストハウスのように誰もが気軽に声をかけあえる空間を目指して立ち上げました。旅をしたことがない人、止めてしまった人も、旅しているような感覚を味わってほしいと思っています。そして、お腹を満たすだけでなく、思いがけない人と出会ったり世界の知らなかった情報を得て心が満たされる空間にしているつもりです。他人とのコミュニケーションを通じて世界を知り、自分の行動が世界を動かしていることを知ってもらうためのレストランです。

――なるほど。パクチーハウスで「旅」ができるんですね。

佐谷 恭さん:また留学先では「旅人」として活動しているつもりですが、僕は日本人なので日本のことをよく聞かれました。当時はネットの情報源もそれほど多くなく、ほぼリアルタイムで得られる情報は新聞社のウェブサイトぐらいでした。日本での論調を説明するために、やれ朝日新聞はこうで産経新聞はこうだという日本で言う左右の話をしてみるんですが、世界の視点はそんなところにはない。日本にはサムライがいまだにいるんでしょと多くの人が信じ込んでいる国の代表が国連で発言したりもするわけです。大学院の授業の中にもめちゃくちゃな発言が飛び出します。

最初のうちはそれを「馬鹿みたい」と思っていましたが、世界がうまくいかないのはみんな「自分の常識」で勝手に判断しているからじゃないかなと。そういう意味では「クレージーな視点」で書いたニュースも日本にあっていいのかなと。英語を話すとかだけじゃなくて、全然知らない視点で書かれた情報を得ることが日本人が世界のことを考えるのに必要なんじゃないかと。そこで帰国後は、新聞社等のメディアで仕事しようかなと漠然と思っていました。
偶然にも、『旅と平和』という論文を書き終える前日に、ライブドアが日本で初めてネット初の報道機関ライブドア・ニュースを立ち上げるためスタッフを募集するという発表がありました。ライブドアのサイトをその頃よくみていた理由は近鉄バッファローズ買収の計画を見たからです。「プロ野球団を買う」というのは「会社を自分で作れる」と気づいたとき以来の衝撃で、それを率いている堀江さんという人は世の中を大きく変える人なんだろうと注目しはじめたのです。

ライブドア・ニュースの立ち上げメンバーとなり、僕は「外から見た日本」を紹介したり、NPO・NGOなど他人のために活動する人たちにフォーカスする記事を書きたいと思いました。持っていたイメージはその1年後ぐらいに創刊した『クーリエジャポン』やさらに1年後に創刊した『オルタナ』のようなものでした。
ご存知の通り、ライブドアは2005年2月にニッポン放送の買収計画を発表、半年後堀江さんが参議院選挙に出馬、さらに半年後に東京地検が来るというエキサイティングな環境で仕事をさせてもらいました。そして結果として2007年1月にライブドア・ニュース閉鎖の発表。

――結局ライブドア・ニュースが立ち行かなくなって、起業への道が始まるわけですか。

佐谷 恭さん:いえ、実は直接の理由は子どもができたことが判明したからなんです。2006年秋に妻の妊娠が分かり、父となる自分はどういう生き方をするべきか改めて考えました。いろいろ考えた末、子どもと同じぐらい成長していきたいし、旅の経験を人生にもっと活かしたいし、自分で自分の時間をコントロールしたいので、それを実現するためには誰かの下で働くよりも自分でやろうと思いました。そして、自分のテーマとして掲げてきた「旅と平和」を事業化しよう、旅で得たポジティブな経験を日本の社会に還元しようと考え起業を決めました。妻にその決心を伝えて年が明けたあと、ライブドア・ニュースの閉鎖が発表されました。

起業すると決め考えてみたのですが、自分の唯一の得意分野は「飲み会を開催すること」。予備校時代からあらゆる飲み会の幹事を1000回以上やったと思います。その体験から、会社や知人同士の枠を超えて人と人が話をすることで人間関係はもちろんさまざまなアイデアが生まれ、人生が豊かになるという実感をもっていました。そして自分が考える『旅と平和』の活動をしている人たちを応援すること。今でいうところのファンドレイジングパーティをイメージして、それをビジネス化できないかなと考え始めました。例えばすごくいい飲食店でも空いているし、続かなくなったりするので、その場所を月に2回ほどかりつつ集客の支援をするようなビジネスがあり得るのかなと検討を始めました。

そして「飲む側」だった僕が、大量の飲食店のノウハウ本を借りてきて研究を始めたのです。30冊ぐらいランダムにページをめくって思ったことは、なんだかつまらないなーと。日本の一般的な飲食店の姿というか思想が浮きぼりになって、そこに書いてある「常識」はやっぱり僕が見た世界の飲食店とは違ってると感じました。お客さんは神様であり、そのニーズに応えるというようなことがよく書かれていましたし、今のトレンドはああだこうだとも書かれていましたが、社会を変えるとか世界を創るという意思はそこにはないなと思いました。例えば当時の流行りで「膝つき接客」や「個室化のススメ」がありましたが、この2つは飲食店においてコミュニケーションを発生させるという観点からは最も残念で間違ってると思いました。そして「自分でやった方がいい!」と突然思いついたのです。

――積み重ねた飲み会幹事の経験が生きてくる訳ですね。

佐谷 恭さん:平均で週8回程、幹事をやってましたからね!(笑)
飲食店のコミュニケーションのあり方を変えることが、社会を変えることにもなるんじゃないかと思いついちゃったんですね。
旅と平和をテーマに事業化しようと考えたことは、コンセプトの輸入です。モノやサービスを運ぶ仕事はあるけれど、どちらも「売れそう」を基準に選んだりローカライズされてしまう。一方で僕は旅先で、僕のことになんか合わせてくれない人たちからたくさんの衝撃をもらって人生を築き上げてきたので、僕も世界で僕らが感じるショックを日本で再現したいと思っています。

僕の事業は日常に軽いショックを与えることで、人の行動を変えることを目指しています。まずは食べる・飲むという毎日の行為にショックを加えることにしました。僕は外食するのが好きなので、レストランという場に楽しく会話をする中で世界を知るとかいろんな面白い人と出会えるなどの要素を加えることにしました。

僕は起業とは何の関係もなく、日本パクチー狂会という冗談みたいな集まりを2005年からやっていました。飲食業に携わったことがなく、知識もまったくない中、レストランをするネタとしてはパクチーしかなかった。パクチーで店をやるなんて「信じられない」「馬鹿げている」と多くの人に言われたけれども、僕はパクチーのことをそれまで2年ぐらいは、たぶん世界で一番考えていたと思います。経営のことも、飲食業のことも分からないけれど、パクチーで何かをすれば面白い人と知り合うことができると思っていました。そして、変といわれることをやれば2~3の雑誌が掲載してくれるんじゃないかと思いました。結果として僕の友人関係ネットワーク以外の広がりもでき、個人ではできない知名度の向上も望めるかなと。そして、面白い店作りをする自信はあったので、パクチーが一般的になってもならなくても、普通の飲食店と全然違う理由で人の集まる空間はできるんじゃないかと思いました。

ところが、僕の予想はまったく外れます。2〜3件の取材で目立とうと思っていましたが、実際は開店までに10件以上の取材を受けました。その後も変人を面白がってくれる人はいるみたいで、旅と平和のいろんな活動全体では8年で800件以上の取材を受けています。

――なるほど。飲食店をいろいろな人の交流の場ととらえ、さらに皆さんの経験や旅人の世界観を織り交ぜていく。そうやって少しでも親近感が深まれば争い事を避けようとするし、そこに行く人も増え交流が生まれる。
ところで
Paxiはタイ語の「パクチー」とスペルが違うようですが、paxiというスペルは佐谷さんが考案されたんですか?

佐谷 恭さん:そうです。日本パクチー狂会を立ち上げる際に2週間ほどかけてスペルを考えました。
タイ語のスペル“phakchi”は、日本人が書くには難しすぎるし、インターネット的にはよくないなと思いまして。考えていたころ「mixi」が流行る直前で、僕は初期の頃の「mixi」の大ファンだったので、それをパクらせていただきました。Paxはラテン語で平和を意味します、iは旅人を表しています。元々「旅と平和」というテーマを持っていたのでそれに合わせたことで、2007年8月9日に会社を創るとき、パクチーと旅と平和が完全にマッチしたということです。

――いいですね。その時その時は何が起きているか、何がいいのかわからなくても、後から考えるとすべてが繋がっていたことに気がつきます。東北でのシャルソンは、どういうタイミングで開始されたんですか?

佐谷 恭さん:震災から3年目です。元々震災から3年経ったら多くの人は忘れるだろう。だったら3年経ったらやってみようと。地元の人たちと走りながら楽しんで、笑って、いろんな話をして。そうすることで忘れ去られた東北の3年後が浮かび上がると思ってました。
開催にあたってネットで呼びかけたら、釜石の嶋田副市長(当時)が応援してくれたため釜石から走り始め、各地で多くの人に協力してもらい、被災地を自分たちの足で走り、目で見て、話を聞かせてもらいました。8時間走って、8時間飲んで、8時間寝る、ポジティブな復興支援です。過去4回開催し、釜石から仙台までを435km走りました。

――ところで若い人たちをみてどう感じますか?

佐谷 恭さん:もっと主体性がほしいですね。
「しょうがないよね、景気がわるいし、こんなもんじゃネ」とか、自分で考えることを教わってないのでしょうね。『見えているものと起こっていること』が本質的に正しいのかどうか。『世界的な常識と日本の常識』とのギャップをどのように見つけ、ギャップをどのように活かすのか。それは自分で行動するしかないですね。

――最後に、子どもたちや若者たちに何を伝えたいですか?

佐谷 恭さん:自分の目で観て、自分の頭で考える。
いろんな情報があってスマホで何でも得られると思っているかもしれないけど、他人のフィルタを通したものは自分的には意味が薄いと思った方がいい。自分が、家族や学校や社会に対しこうしていきたいなって直感で感じたことをちゃんと実現していくためにも、自分で考えてほしいと思います。

――とても楽しいお話しありがとうございました。

 

インタビューの途中から、田上百合子さんが来られていました。そしてもう一人女性が増えていました。どうやらこれから一緒にランチに参加されるようです。なるほどこうやって声を掛け、参加したい人が集まる。このオープンなしくみがコミュニティを豊かにしていくんですね!

私はなぜか、ふとサミット(先進国首脳会議)のことを想い出しました。
いつも私は、サミットは「宇宙船でやればいいのに」と思っています。一度、宇宙から地球を見た人は、地球に帰還してから人生観が全く変わってしまうと聞いたことがあります。
それなら大統領や首相はみんな地球を見て来た方がいいよねと。

国益を越え、国境のない地球のことを議論する。
そのためには、地球を見ながら議論すればいい。

そしてその間、首脳不在の地球は全く問題なく回っている。
もし、「帰ってきてもいいよ」と要請があった人だけが地球に帰還できるとしたら、何人の首脳が戻って来れるのでしょう(笑)。

 

■佐谷恭(さたにきょう)さんのプロフィール

佐谷恭さん

株式会社旅と平和・代表取締役。幼い頃から積極的に国際交流をし、京都大学総合人間学部在学中に旅を始める(訪問国数 約50カ国)。「旅と平和」をテーマにした論文で、英国ブラッドフォード大学大学院(平和学専攻)修了。 富士通で新卒採用の責任者を務め、リサイクルワンの創業期にセールスマネージャーとして会社の立ち上げに貢献。ライブドア報道部門の立ち上げをリーダーとして率いた。人づくりと組織作りの経験を生かし、「旅と平和」の事業化に取り組んでいる。 世界初のパクチー料理専門店・パクチーハウス東京、東京初のコワーキングスペース・PAX Coworkingを運営。シャルソン創始者。コミュニケーションのある空間をゼロから生み出してきた。著書に『ぱくぱく!パクチー』(情報センター出版局, 2008)、『つながりの仕事術「コワーキング」を始めよう』(洋泉社, 2012)、『みんなで作る パクチー料理』(スモール出版, 2012)

 

 

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