ナガノユキノさんへのリレーインタビュー

「では11時にハチ公前にしましょう」。時間と場所が決まったのは、当日深夜0:01でした。渋谷、ハチ公前、その後13時にみなとみらい。お忙しい方なんだろうなあ…。
当日、私はオフィスから自転車で渋谷に行き喫茶店を探しました。そして10:58携帯が鳴り元気な声が響きました。電話を切って振り向いた瞬間、演出家ナガノユキノさんは私の目の前におられました。なぜか、初めてお会いした方とは思えない雰囲気を感じながら、私たちは喫茶店に向かいました。

席に着いて、私は「この懐かしさは何なんだろう」と思いながら、インタビューの趣旨や南三陸のこと、私の本業である有機太陽電池ビジネスのことをお話ししました。そしてナガノユキノさんから、3.11の後に『見習い天使』など演劇のシナリオを書き直されたこと、今でも3.11のことが脳裏から離れないとこと、また3.11で人類のエンディングを感じたが、ふとオープニングではないかと思い直し『エンディングまたはオープニング』というミュージカルを制作中であることなど、インタビュー開始のタイミングを逸してしまうほど、次から次へと話が進んでいきます。「では、そろそろ」と私は切り出しました。(聞き手 昆野)

 

--どんなお子さんでしたか?

ナガノユキノさん:むちゃくちゃ暗い子どもでした。 最初の記憶は父と母が喧嘩をしていて、ものすごく仲が悪かったということでした。

――子どもの頃の夢は何でしたか?

ナガノユキノさん:夢なんてなかったです。
とにかく早く、父と母から離れお金を稼ぎたいと思っていました。小学生の時から働きたかったんですが、小学生からできる仕事は子役しかありません。「児童演劇に入ったらお金がもらえるよ」と教えてもらい、そこでコマーシャルなどに少しづつ出演してお金をもらうことができました。段々、「これで自立するぞ」と思えてきました。そして高1で家を出て、昼間働き夜は定時制高校に通おうと決めました。

――それからどうされたんですか?

ナガノユキノさん:私は、青春の絶望から始まりニヒリズムになってしまいました。
このままいっても人類は必ず滅びると思い、結婚もしない子どもも持たないぞって思っていました。20歳の頃はコマーシャルとかやるとすごくお金が入ってきましたが、でもどうせ滅びるんだからと、そのお金を全部弟や妹の学費にしたりで…。すごく刹那的に生きていましたね。

――なぜ演劇を?

ナガノユキノさん:19歳の時に、サミー・ベースという演出家と出会いました。
彼は「屋根の上のバイオリン弾き」の演出家でした。その時私は「こんな仕事があるんだ!こんな仕事をしたい!」と思ったんです。
今考えてみると、夢が叶ったんですね。たった今気がつきました。それが私の夢だったんですね。不思議なものですね、本当に今気がつきました。笑!
今振り返ると、父と母のものすごい戦いというか喧嘩があり、そのドラマチックなことが後から演劇に結びついたような感じですね。

――演劇には、どのような社会的意義があると思いますか?

ナガノユキノさん:演劇を一言で言えば「人間復活」。
人間の感覚を復活させるためのものだといえます。多くの人は普段、人間の喜怒哀楽を抑えつけて生きています。私自信、ロンドンに住んでいた時に『オペラ座の怪人』を観て、主人公が自分の人生を嘆げき地下室に閉じこもって、何という悲しい人生だと嘆き悲しむ歌を聴いて泣いて、一瞬でスッキリしてすごく元気が出たんです。うんと泣いて、うんと笑うと免疫力がアップするんですね。それで「これだなあって、演劇ってすごいなあって」思いました。
「うんと泣いて、うんと笑っちゃう舞台をつくろう!」その時、私はそう思ったんです。すっごくシンプルです。それがずっと続いています。

――これから子供たちに何を伝えていきたいですか?

ナガノユキノさん:今後ますますいろんな問題が流動化して、どんどん価値の転換が起こる時代になっていきます。
それに驚かずに、柔軟に、未来を信じて、愛し合って、繋がり合って生きてほしいって、心からそう思っています。ですからそういうことを舞台から伝えていきたい。「道はある」ということを伝えていきたいと思っています。

――人生の転換点はいつでしたか?

ナガノユキノさん:パッと一瞬で変わったことがありました。
5年間程ニューヨークでミュージカルの勉強をしていましたが、ある日マンハッタンの真ん中を歩いていたら、突然はっきりと「絶対に人類は滅びるんだ!」と感じたんです。そしてその答えがあるとしたら「日本だ!」と、なぜかわかりませんが直観的にそう思いました。
当時の米国人の夫に「これからの人類に対する答えが日本にある気がする。どうしても日本に戻りたい」と言ったら、「アタマがおかしくなったんじゃないか」と言われました(笑)。結局、夫は法律事務所を続けなければならないため、離婚して帰国するしかありませんでした。でもなぜかはっきりと、「日本に答えがある!」と思ったんです。

そして帰国後いろんな人に「人類は滅びると思いませんか?」と聞いて歩きました。多くの人に聞いている中で一人だけ、「滅びないよ」といった人がいたんです。その人は九州で農業をやっている人でした。「そうか!農業のような有機的なことにヒントがあるんだ」と思い、そこから希望をもち始めることができました。35歳の頃でした。

突然、ナガノユキノさんが私に、「日本にあると思いませんか?鍵は。」と聞かれました。

――「あると思います」と、私は答えていました。
日本固有の文化や習慣を日本人はもっと理解し大切にすべきだと思っています。これまであまりにも、欧米の文化に染まり流されてきました。さらに「豊かさ」というものを履き違えていて、多くの人は経済的な豊かさを最優先に追い求めています。
まず「心の豊かさ」を大切にし、それを最優先に考え取り組むことで、忘れてしまい見失っている大切なものを、はっきりと理解できるようになると思います。鍵は、日本人が忘れてしまっているものの中にあるのではないかと思っています。

ナガノユキノさん:お話ししていて思ったんですが・・・(また突然)、昆野さん自身は意識化されていないかも知れないけれど、やっぱり宇宙の大いなる意思に呼ばれている方だと思うんですよ。だから「日本から大切なことを伝えなさい」と言われているんだと思いますね。お話ししていてそう思いました。私も同様に呼ばれていて、だからニューヨークから日本に戻ったんです。

――実は、私は25歳の時に入院していて、地球以外の星に立っている自分の後ろ姿を見ていたことがありました。退院してから「余生」だと思って生きていますが、すでに余生の方が長くなったので最近ちょっとバツがわるいんです(笑)。

ナガノユキノさん:余生ですか…、104歳のお医者さんの日野原先生は、よど号ハイジャックに遭遇された時、もし自分が助かったならば、これからを余生として生き、患者にすべてを捧げますと神様にお伝えされたようです。その後、その通りに生きてらっしゃるんです。

――そういえば日野原先生は、大人になるということは「自分以外のことを考えて生きることだ」と言われていたのを想い出しました。それに対し子どもは、地球上のあらゆるものを自由に自分の物のように使って思う存分生きていればいいと。
その意味で、心の底から楽しく生きている大人は、ただそれだけで子どもたちにとって有意義な存在だと思います。

ナガノユキノさん:心底楽しい人は、満たされて生きています。
実は、演劇って悪人の研究を結構するんです。悪人というのは、心が満たされなくて悪いことをしてしまう。満たされようとするとさらに満たされなくなる。そしてもっと悪いことをしてしまう…。あのリーマンショックの時の大富豪リーマンの顔が象徴的で、こんな不幸な顔をしている人が世の中にいるのかというくらい不幸な顔をしていました。
今の社会では、お金を回すのが上手な人が成功者といわれる。そういう呪文に掛かっている。地球温暖化や核兵器、原発、資本主義など、あらゆるお金を使って自分たちの利権を守ろうとしている。
だけど段々目覚めてきてお金がなくても幸せ、人とのつながりこそ財産、共感こそ財産だと思える人が増えていると思います。

――奪い合えば足りず、分かち合えば余りあるのに。

ナガノユキノさん:そう。仏教の逸話で、円卓を囲んだお坊さんたちが長~い箸を持っていて、それで目の前の食事を食べようするが隣の人に箸が引っかかって食べられない。結局、向かい側に座っている人とお互いが食べさせ合うことで初めて食べられることがわかるというもの。
人類の知恵の一つですね。そういう知恵がこれからまた復活してくるんじゃないかな。「人間復活」です。
一人ひとりが本当の意味で知恵者になって、支え合い、依存しながら自立していく…。私たち忘れちゃったんだよね、元々人間にはあったのにね。

実は、道を説くために少し急ぎたいと思っています。あくまでも演劇を通して精一杯、一人ひとりの可能性を伸び伸びと活かしていきたいと思っています。多くの人は思いこまされている、本当の自分を取り戻さないと。競争の社会で大人も子どもも疲れてしまっている。
心底楽しく大人たちが生きていないと、子どもたちも元気にならない。大人たちがあんなに頑張っていても「あれか」と、子どもたちから思われてしまいますね(笑)。

また私は、鈴木重子さんとミュージカルをつくっていきたいと強く思っています。私と同じように夫(青沼かづま氏)も、そう思っています。重子さんは大切なことを歌で伝える大変な力をもってらっしゃる。あまりに歌が素晴らしく、歌とともに出てくるものが凄い。いろんなところで伝えてもらいたいという願いが、私たちにはあるんです。

――ぜひ被災地の子どもたちに演劇を観てほしいですね。3.11で計り知れない多くのものを失ったけれど、そこで一度リセットされたはず。そして未来に対する何らかの意思をもったと思います。そんな子供たちに是非。

ナガノユキノさん:「家は流されたけど、心は流されないぞ!」ということですね。
実は、多くのミュージシャンやアーティストが被災地に行っているので、これまであまり「行かなくちゃ」とは思っていませんでした。まず東京の人たちに伝えたいと考え取り組んできましたが、三陸の人たち伝える必要がある、これからなんだと今はっきりと思いました。これから三陸で公演ができるよう頑張ります!

 

「時間、大丈夫ですか?」「ええ、そろそろですが大丈夫です。」それからさらに20分ほどお話ししたでしょうか…。
喫茶店を出てエレベーターから降りた際に、13時から打合せですか?とお聞きすると、明日の高橋佳子さんの講演の準備だと言われリーフレットをいただきました。高橋佳子さんといえば『レボリューション』という本を想い出しました。15年ほど前に、3,11で亡くなったすぐ上の兄に薦められて読んだ本でした。
そのことをお伝えすると、ナガノユキノさんはなぜか感激された様子で、そのまま2人は東横線に向かって歩きながら話し続けました。なかなか話は尽きず、改札前まで来てやっとご挨拶をしてお別れしました。
普段であれば、私はそこで振り向いて帰るのですが、これまたなぜかナガノユキノさんが改札に入るのを見届けようとしていました。
すると「ピンポン」という音とともに戻ってこられました。チャージが足りなかったようです(笑)。チャージボタンを私が押しながら無事チャージを終え、今度は大丈夫だと確信をもった私は、振り向いて今来た道を歩き始めました。

「これでいいのだ。」地球以外の星にいるようなふわふわした余韻のまま、私はただそう思っていました。
それはナガノユキノさんの熱い想いと包容力に包まれている気がしました。

「私たち人間はこんなもんじゃないですよ、もっともっと素晴らしい。」 歩きながら話されていたその音の響きが、この原稿を起こしながら甦ってきました。

ナガノユキノさん、本当にありがとうございました。

 

■ナガノユキノさんのプロフィール

yukino演出家。 1984年から1989年までニューヨークのリー・ストラスバーグ・インスティチュートで演技、演出を学ぶ。また、ビデオジャーナリストとしても地球環境や人権、国際関係をテーマにしたドキュメンタリー作品を多数制作。フリーの舞台演出家として翻訳と演出の仕事を行う傍ら、企業や地方自治体の環境イベントの演出も行っている。
主な作品:ニール・サイモン作『映画に出たいのッ』翻訳・演出。ライル・ケスラー作『デッド・エンド・キッズ』翻訳・演出(第6回池袋演劇祭優秀賞受賞)。『GIFT~大人よ子どもの夢を消さないで~』演出。『アリーテ』演出。『CHANGE』演出。『父と暮らせば』演出。

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