見えない闇を観る

『闇』という字は前回に詳しく触れましたので、もうひとつの字『暗』を細かく見ていきます。
暗=日+音
「日」はお日様の日、その右側に「音」という字を書いて【暗い】
太陽の右側に音があって、明るいなら分かるけど、暗いとは何とも奇妙です。ところが、実はそれで正解のようです。「日」はお日様の日ではなくて、窓のことだそうです。アルミサッシを連想すると分かりやすいでしょう。窓とくれば家、その家の中に音が居るんです。当然そこは外よりも、そう、暗いのです。

となると、「明」という字も設定が違ってきませんか⁉️
明=日+月
「日」はお日様の日ではなくて、窓。その窓から家の中に月の光が差している。つまり、明るい。閑話休題。

宇宙は、ビッグバンから始まっているといわれています。巨大な爆発ですから、猛烈な光が生じた。だから宇宙の始まりは、光だという人たちもいます。それでは、宇宙の始まりの前は何だったのか。闇だった。暗闇だった。無だった。何も無かったという人たちもいます。

私の考えは違います。
宇宙の始まる前に、音はいます。
始まっている時は、音はしています。
始まった後は、音は余韻を残しながら去って行きます。元いた場所へ戻って行きます。「始めに言葉ありき」(新約聖書ヨハネ伝1章)。これに対しても、私の考えは違います。「始めに音ありき」だと考えるのです。モノの根源は音だと考えるのです。物質とは、色々な音たちが居続けている状態だと考えるのです。

岩も音。草も音。樹木も音。海も山も川も音。机もソファーも宝石も音。全て、眼に見える物は、音たちが奏でているハーモニーなのです。世の音を観る、観音です。世の中の音を観る、観世音です。聞世音ではありません。聴世音でもありません。色即是空。私の思いは、飛躍します。空へ。可聴域を超えた音たちが空にいます。色即是音。

次回は、音即是色です。

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