なぜ今、社会企業家なのか?

本サイトを公開し約1ヶ月が経ち、すでに25回発信されています。今さらながらですが、ここで「なぜ今、社会企業家なのか?」に触れておきます。

人が何とも言えない喜びを感じるのは、誰かや何かの役に立ちそれを実感した時だと思います。人というのは、そういう生き物なのでしょう。。「日常と非日常」でも書きましたが、日常の中で誰かや何かの役に立てる機会がない、あるいは役に立っていても実感が湧かず諦めやマンネリ感、閉塞感が漂っている人が多くいます。そしてそれが、社会に蔓延しつつあると感じます。

ある人は、自分が我慢すればいいと思っています。
ある人は、誰かや何か、あるいは社会のせいにしています。
いずれにせよ我慢か責任転嫁の二者択一的な考え方や行動に陥っています。簡単に言えばつまらない日々を過ごし、安易な楽しさを求め後悔を繰り返して生きていく要因をつくり出しています。さらに、それを自分が選択しているという自覚はないのでしょう。

特に仕事でそう感じて生きている人が多くいます。仕事では、利害や人間関係が露骨に現れる場面が多く、寧ろそれが仕事の厳しさだと勘違いしていることも多々あります。地に足がついて仕事をしている人は「仕事に厳しい」と「人に厳しい」を区別できます。会社での評価よりも、自分らしさや社会的な意義を大切にします。

自分を誤魔化したり勘違いして生きている人は、人として大切なことに鈍感になります。あるいは避けて通ります。こういう状況が続くと体調を崩します。あるいは周囲の人が病気になります。我慢をしていても、本当の自分の心と身体を誤魔化し通すことはできません。内面にダメージを及ぼすか、周囲の人を攻撃するかどちらかに向かうということになるでしょう。

そういう状況から自然に解放される方法としてまず私が思うことは、「自分らしく」生きるということです。「自分らしく」というのは、考えてわかることではありません。私の感覚では一つひとつのことを心に違和感のない状態で行動することにより、自分らしさの輪郭がみえてくるという感じです。繰り返していくことで、その輪郭がはっきりと浮き出てきます。自分が正しいと思うことは何なのか、やりたくないと思うことはどういうことなのか、何となく嫌だと思った時は様子をみるとか少し置いておくだけでいいのです。
自分や会社やお客や誰かの都合で決めるのではなく、ただ自分の心に違和感なくいればいいだけです。結局、元々わかっていることを忘れたり見失っているだけで、それを一つひとつ想い出していく作業なのでしょう。

会社や仕事ではタブー視され無責任と言われ自分勝手と言われるようなことであっても、「自分らしく」いることにより人として最も大切なことに立ち還えられれば(原点回帰)、同じように行動している人と横軸でつながり少し安心して仕事もできます。それぞれが「自分らしく」していれば、そこに安心が生まれます。
日常の自分の周辺環境の中ではタブー視されることが、全く違った意義や価値観をもっていることにも気づかされます。

私は誰かを説得することはしませんし、したこともないと思います。わかる人と連鎖、連動していければいいと思っています。それが何となくでもいいし、何となくが何だったのか後から表層化していくこともお互い楽しい体験になるでしょう。

まずはそんなところからどうでしょう。

つづく
なぜ今、社会企業家なのか?(2)」

 

 

 

 

 

 

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